亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

生きた証…

 

 

大切な人を亡くして、その人の「生きた証」を残したいと考えてらっしゃる方はきっと少なくないはずです。
これはごくごく自然な感情な気がしますし、これといって違和感を感じるようなものでもありません。

 

でも、よくよく考えると不思議な感情ですよね?

 

というのも、「いったいそれをして何になるの?」と問われたら、きっと誰もが返事に困るような感情でもありますから…
それに、そもそも論でいうと「生きた証って何?」という話から始める必要だってあるのかもしれませんし…

 

まぁそんな感じで「実はよくわからない感情だった」というわけなのですが、このまま終わるのもなんですから、ここは責任をもって私なりの答えぐらいは書いておくことにします。

 

大切な人の生きた証を残したいのは、あくまでも遺された自分のためであって、自分を納得させ自分を慰めるため。
なかなか認めたくないことではあるが、おそらく「純粋に大切な人のことを考えての行為」といった類のものではない。
加えて、そこには一種の承認欲求みたいなものも関係しており、他人が大切な人のことを知ってくれることによって自分の心の空白も満たされる。

 

こんな感じでしょうか。
美しい答えではないどころか、完全にカッコ悪い内容ですね。
ただ、たぶん当たっていると思います。
そう、これは私自身を振り返って書いたものなので…

 

最後に言っておきますが、これは「良い悪い」の話ではありません。
「なぜそんな感情が生まれるんだろう?」ということをちょっと考えてみただけです。
ですから、自分はそうじゃないと思う方はそれでいいと思います。

 

 

 

 

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