亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

埋まらない穴には見えますが…

 

 

おそらくですが、死別以降なんとなく心に穴が空いているかのような感覚を味わっている方は少なくないと思います。

 

私もその一人でした。

 

では、この穴の正体はなんなのでしょうか?
そして、どうやったらこれは埋まるのでしょうか?

 

 

わざわざ振り返るまでもありませんが、この穴は大切な人が亡くなったことによって生み出されたものです。
と考えると、一見その正体は明白です。
当然、目の前に亡き人が現れればすぐにでも埋まるはず。

 

でも、ぼんやりとはいえ「他にもその穴を埋める方法があるのではないか」と感じますし、たぶんそれはあるんだと思います。
いえ、なかなか気付けなかっただけで、実は私自身もすでにそういう経験をしていました。

 

ですから、「その穴の正体は大切な人そのものなのか?」と問われれば、今の私は「違う」と答えます。

 

 

ってことで、以下にその答えを書いておきます。

 

 

歯の浮くような表現しか見当たらないのが非常に心苦しいのですが、この穴は「愛し愛される存在」です。
ええ、表現の仕方はともかくとして、これに間違いはありません。
また、決して「亡き人そのもの」でもありません。

 

この穴は、誰か特定の人間というよりも「愛し愛される存在」を失ったから生まれたものであって、それがゆえに誰か特定の人間が埋めるものでもなく、そういった範疇に含まれる人間が埋めてくれるものなのです。
つまり、亡き人だけとは限りません。
その範疇にさえ含まれていれば「他の誰か」でもいいんです。

 

ちなみに、これがわかっていれば「いつその穴が埋まるのか」や「その穴の埋め方」までわかるようになるはずです。
たとえば、もし亡き人以外をシャットアウトし続けるつもりなら、最後までその穴は埋まることなく人生を終えることになると思います。
逆に、もし「愛し愛される存在」を見つけることができれば、気付いた時にはその穴は埋まっていると思います。

 

とはいえ、亡き人の手前もあるため「他の人でも埋まった」なんてことはなかなか認めづらいかもしれません。
もしかすると、頑なにそれを否定し続ける人も多いのでしょう。
まぁ、それはもう好きにしてください。
ただ、いずれにしてもこの穴が埋まったほうが幸せな人生になると思います。

 

 

一応最後に書いておきますが、今日ここで書いたのはあくまでも「心に空いた穴」の話であって、「その穴であるなら別に亡き人でなくても埋まる」という内容です。
まったくもって「誰かに亡き人の代わりが務まる」と言っているわけではありませんので、この点についてはくれぐれも誤解のないようにお願いします。

 

 

 

 

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