亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

あの頃の最低な自分…

 

 

それは大切な人が亡くなったあの日、病室を離れ失意のうちに病院の玄関を出ようとしていた時のこと。
おそらく楽しいことがあったのでしょうね、女性の看護師さんが二人でキャッキャッと笑い合っている姿が目に飛び込んできました。

 

私は今でもその時のことを鮮明に覚えていますし、「それを目にした自分が何を思ったのか」についてもハッキリと覚えています。
そして、いつの頃からかそのことをずっと反省しています。

 

そう、間違いなくあの時、私は「こいつらが〇〇〇いいのに」と思っていました。

 

確かに伏線はあったんです。
入院当初は100パーセント治ると言われていたにもかかわらず、検査の結果急に「もう手術はできない」と言われてさじを投げられてしまったり、痙攣する彼女の処置に集まった医師が笑っていたことがあったり、さらには、医師に率いられ病室を見学しにきたと思われる数人の医学生か研修医にも笑っていた時があったりと…


今考えるとこの中には私の勘違いだったものもあるのかもしれませんが、少なくとも病院に対する不信感が日に日に増していたことは間違いありません。

また、自分をかばおうと思えばかばえないこともない気がします。
というのも、あの時の私は「そもそも世の中にはどうにもならないことがある」ということすら理解していないたかだか24歳の若造でしたし、そんな私の目の前で一カ月間にわたって繰り広げられていた「大切な人の命」を巡る大人のやり取りや判断、それを理解できていなかったとしても不思議ではありませんので…

 

でも、やっぱりよくないですよね。
無関係の人に心の刃を向けるなんて…
ましてや、その二人も誰かの命を守るために日々闘ってくれていた医療従事者なわけですし。

 

そんな感じで、あの頃の自分は考えれば考えるほど罪深い存在でした。
そして、そんな最低だった自分が今も私の反面教師です。

 

 

 

 

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