亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

理想の人生って

 

 

死別を経験すると、「あの時こうだったら」「あの時こうしていれば」などといった後悔やそれに似た感情がどうしても生まれてしまうものです。
これって、その対極に自分が理想とするイメージがあったから、もしくはあるからこそ後悔しているのでしょうけど、果たしてその理想のイメージや理想の人生ってどんなものなのでしょうか。

 

こんな風に、いざ急に問い詰められたらこの答えってなかなか難しいものですよね。
少なくとも、私は下のようなふんわりした答えしか思いつきませんでした。

 

「大切な人と長い時間一緒にいて、その間の喜びや幸せを分かち合う」

 

ちょっと小学生みたいな答えになってしまっていて自分でもビックリですが、これは私がその部分について深く考えられていなかったからだけなのかもしれません。
ですから、中には具体的な返答ができる方もいらっしゃることでしょう。

 

とはいえ、自分が幸せな状況にいる時は「理想の人生について」なんてあまり具体的にイメージすることがない気もするんですが、これは気のせいでしょうか?
それより、こういったものは不幸に直面した時にはじめて意識させられるというか…

 

 

とまぁそんなことはどうでもいいので、理想の人生についてちょっと考えてみましょうか。
もし気が向いたら、みなさんも考えてみてください。
もちろん、死別前からきちんとイメージなさっている方はそれを思い浮かべてもらえれば大丈夫です。
なお、内容についてはそれが具体的だろうが抽象的だろうが気にする必要はありません。

 

ただ単に、「今現在苦しんでいる原因となった死別、これが仮になかったとして理想の人生を歩む自分」
これだけイメージしてもらえれば大丈夫です。

 

その上で質問なのですが、頭で描いた理想の人生には「それでもやはり直面するであろう死別」のことってちゃんと含まれてますかね…?

もし含まれているのであれば、きっとそれは「人生には死別がつきもの」ということを学んだ証なのかもしれません。
そんな方は、この先の人生においても「生きていることの価値」をきちんと噛みしめられるでしょうし、なんていうか計画的に生きていけるような気がします。
逆に、もしそのことを完全に失念しているのであれば、イメージしたのはある意味本当に「理想の人生」なんでしょうね。
そしてそんな人間は、「理想と現実」とのギャップに再び打ちのめされるか、「死別が不可避であることを学ばない夢見がちな人間」というレッテルを貼られるのかもしれません。

 

それでも、なんとなく後者のほうが幸せに人生を生きられる気がします。
今日はそんなことを考えたりしてました。

 

 

 

 

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