今年も早いものでもう11月…
別に疑っていたわけでもありませんし、どちらかというと身をもって納得していた側の人間なのですが、「年齢を重ねるごとに月日の経過を早く感じるようになる」というのはやはり本当のことで、今年も例にもれずにそう感じています。
ちなみに、みなさんはこの現象についてその理由を考えたことありますか?
これには諸説あるようですが、私は以下の説明に一番腹落ちしているので、みなさんにも紹介しておきます。
それがどういう説かというと、「自分の人生に占める割合で考える」というものです。
要は、5歳にとっての1年は「1/5」なのに対して、40歳にとってのそれは「1/40」だというものであり、結果として1年を早く感じるということです。
有名な説かもしれませんので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。
と、そんなことを考えていて気付いたのですが、「大切な人と過ごした時間」というのも年を追うごとにその割合が小さくなるんですよね。
それって、考えようによっては「自分の心の中でも大切な人の存在が小さくなっていく」ということと限りなく同義のように思えてくるのですが、実際はどうなんでしょうね…?
これに関しては「全然そんなことないし、そんなことは今後も絶対あり得ない」と言い切る自信がある一方で、「確かに小さくなってるのかもしれない」と思う瞬間があったりするのもまた事実です。
というのも、私自身が気付いていない部分も含めて、今となっては大切な人についていろいろと忘れちゃってる気がするので…
匂いとか声とか、あたたかさとか…
とはいっても、そのすべてを忘れているというわけではなく、思い出そうと思えば思い出すことはできます。
ただ、完全に思い出せるのかと言われればやはり厳しいですし、そこには「それはそれで仕方のないこと」と諦めてしまっている自分がいたりもします。
そう考えると、やっぱり「私の心の中での大切な人が占める割合」は小さくなっているのかもしれませんね…
なにより、「思い出そうとしなければ思い出せない」なんて昔では考えられなかった状況が生まれているわけですし…
でも、そんな自分を責める気にはとてもなりません。
なぜなら、たとえその割合が小さくなっていることが事実だったとしても、それでも心の中に彼女がいることに変わりはないので…
これを「清濁併せ吞む」と表現するのはさすがにズレている気がしますが、いずれにしても全部を含めたこの状況が今の私なんですよね。
それに、もしかすると何かを忘れたからこそ今こうして立ち直ることができているのかもしれません。
そう考えると、時薬はこんなところにも顔をのぞかせているような気がします。