亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

まずは自分を取り戻すことから…

 

 

大切な人を亡くして悲しみに明け暮れていた頃、わざわざ考えようとするまでもなく頭を支配していたのは「あの頃に戻りたい」という思い。
特に、死別直後はそれが顕著だったように記憶しています。
これはもちろん「ほんの数日前にさえ戻ることができれば大切な人に会えるはず」と考えてしまうことが原因なのですが、「死別の大きなショックと比べると、数日前に戻ることぐらい造作もないことに思えてしまう」というのもその思いを強くさせていた一因だと思います。

 

今思えば、時計やカレンダーが目に入ると「この針が何周前なら…」とか「今から何日前だったら」などといったことをよく考えていました。

 

とはいっても、当然われわれは一秒たりとも過去には戻れません。
きっと内心では私もそれを理解していたんでしょう。
だからこそ「もうあの日は戻らない」と自暴自棄になって荒んでいた気がします。

 

 

さて、そんなところでここからが本題というか本日の内容になります。

 

あの時期の私と同様に、「あの頃に戻りたい…」「あの日に戻りたい」といった願いはおそらく皆さんの中にも少なからず存在しているのではないでしょうか。

 

そこで質問したいのですが、「では、あなたは大切な人に愛されていたあの頃の自分に戻ることができていますか?」

 

どうでしょうか?
こんな質問をされるケースはほぼないと思いますが、気が向いたらこの機会にでも少し考えてみてください。

 

ちなみに、「あの頃に戻りたい」としか考えられなかったあの時期の私は、死別以前の私とは間違いなくかけ離れていました。
完全にひねくれ、人生にも絶望し、心は完全に荒み切っていましたから。

 

それはつまり、大切な人が愛してくれていた頃の自分ではなくなっていたということでもあります。
そう、気付かぬうちに大切な人にも愛想を尽かされてしまうような人間に変わっていたんです。

 

そんな人間が「あの頃に戻りたい」と騒いでいたわけですよね…
これは自分でも少し虫がよすぎる話だと思いますし、もし仮に神様という存在がいたとしても、私の願いは到底聞き入れてもらえなかったことでしょう。
第一、仮に時を遡れたとしても、あの時期の私はすでに大切な人の前に立つべき人間ではなくなっていました。


もっとも、死別のショックで打ちのめされたことをそもそもの原因と考えると、この点については自分をかばってあげたい気もします。
でも、それにしてもやっぱり身勝手というか自分本位というか未熟だったというか…
今になってみるとそんな気がしてなりません。

 

というわけで、先ほどの質問の答えがどうなったかはわかりませんが、みなさんには「輝いていたあの頃の自分」、そして「大切な人が愛してくれていたあの日の自分」を少しでも早く取り戻して欲しいなと願っています。
それに、悲しみに打ちひしがれる経験をしたことで、みなさんにはたぶん更なる優しさも加わっているはずです。
ですから、時を遡ることこそできませんが、この「大切な人に愛された誇り」を胸に歩んでいってください。

 

脈絡もない文章になってしまっている気もしますが、今日はこんなところで。

 

 

 

 

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