自分の人生がいつ終わるのか…
余命でも宣告されない限り、もしくは自ら命を絶つという道を選ばない限り、これはほぼすべての人にとってわからないことだと思います。
もちろん、私だって自分の人生がいつ終わるのかを知りません。
ただ、どうせいつか終わってしまう人生とはいえ、人生に絶望したまま自分の生涯を閉じるのだけは気が進みません。
というかそれは絶対イヤです。
もっともそこには特に理由があるわけでなく、しいて理由を挙げるとすれば「さすがにちょっとカッコ悪いかな」といった程度のものです。
なお、ここでのカッコ悪さというのは「周囲の人間に対して」といった外部に対するものではなく、「せっかく生を与えられた一人の人間として、さすがにそれはどうなの…?」といったごくごく内面的なカッコ悪さであり、もしかするとそこには「大切な人がどう思うか」といった側面まであるのかもしれません。
言葉では上手く伝わらなかったかもしれませんが、いずれにしても今現在はそう考えている自分がいます。
冷静に考えると、これは死別から時間を経たからこそ言えることなのかもしれませんね。
というのも、ご存知の方もいらっしゃるとおり死別期の私はめちゃくちゃでしたから…
自暴自棄にはなるし後追いはしようとするし、ついでに言えば寄り添ってくれようとする他人に対してまでもまったく心を開かないし…
そう、まさに人生に絶望している人間の典型でした。
それでも、「やっぱり死ぬ間際ぐらいは周囲の人間に感謝の意を伝えたい」
それに、「大切な人に出会えたことにも感謝したい」
いくら人生に絶望していたとはいえ、こんな気持ちぐらいは抱えていました。
ではその感謝についてですが、周囲の人間に感謝するのは簡単ですよね。
周りにその意を伝えるべき人間が存在していてくれさえすればそれでいいわけですから。
でも、大切な人に出会えたことに対する感謝はいったい誰に対してすればいいのでしょうか…?
思うに、これはきっと自分が歩んできた人生に対してすべきものかと。
なぜなら、自分の人生がどこかで大切な人の人生と重なったからこそ出会いが生まれたわけですし、出会えたからこそそこに「かけがえのない時間と素晴らしい想い出」が生まれたわけですから。
もちろん、世の中に「人生と名の付く人格めいたもの」など存在しませんし、それは私もよく理解しています。
それでもやっぱり私は自分の人生に感謝したい。
これって、今だからこそわかるのですが、人生に絶望した状態ではたぶん無理なんですよね。
人生を憎んで、ついでに自分も憎んで…
ええ、こんな状態ではとてもではありませんが厳しい。
だからこそ、私は人生に絶望していない状態でこの生涯を閉じたいんです。
その上で、大切な人と出会えた自分の人生に感謝をしたいんです。
亡くなった子の人生を思い浮かべると、その思いは強くなるばかり。
こんな感じで、今日は私のひとりごとみたいなものでした。