今日は昨日の続きみたいなものです。
昨日の記事を書いたせいで改めて思ったのですが、死別してしあわせな人をねたむ人ってどういう心理なんですかね?
その望みはいったい何なのでしょうか?
無理やり考えるなら、そういった方々の望みはおそらく以下の2つのどちらかのはず。
- 他人に自分と同等の不幸を望む
- 自分に他人と同等のしあわせを望む
一つ目は、仮に今の自分のポジションが他人と比較してマイナスだとすると、他人にも自分の位置まで下りてきてもらうことで相対的にマイナスではない状態を作る…
つまり「私だけなのは不公平だから、一緒に不幸になろうよ」ってところなのでしょう。
これは周囲のしあわせそうな方々が全員死別を経験しないと実現できない話ですから、ちょっと現実味のない望みと言えます。
二つ目は、逆に自分がプラスの位置まで戻る、もしくは這い上がる。
それによって他人の幸福度に肩を並べるということでしょうか。
これなら難しいながらも実現できそうですし、上の望みと比べるとはるかに可能性がありそうです。
とはいっても、こういった方々の場合はきっと「一緒に幸せになろうね」という博愛の精神が背景にあるわけではなく、「あなただけじゃないよ、私だってしあわせなんだから」という対抗心に似たものがその心を支配しているような気がします。
そう考えるとそれはそれで少し複雑ですね…
ここで思ったのですが、人によっては上記の二つとは別の望みもあるかもしれませんね。
それは、「以前のしあわせな状態に戻らない限りそのねたみがとまらず、以前とまったく同じ状態を望む」というケース。
ただ、これは亡くなった人が蘇らない限り実現不可能なことですから、やはり厳しい望みと言わざるを得ません。
なお、もし「どうしても昔にと同じ状況に戻れないと納得ができない」という方がいるようでしたら、皮肉でもなんでもなく「次回は人間とは別の種に生まれ変わること」を願ってください。
こんな感じで、ねたみは人間の性なのかもしれませんが、どうせなら「不幸なのは私だけで十分、みんなには私の分までしあわせを味わってほしい」ぐらいの気持ちでいたいものです。
ってことで、今日はそんな話でした。