亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

永代供養きっかけの疑問の連鎖…

 

 

 

近年、お墓はいらないという人がどんどんと増えているのはみなさんご存知のとおりです。
まぁ墓石や墓地などにはお金もかかりますし、その管理などにも同様にお金や手間がかかってきますので、このご時世であれば当然の流れな気がします。
それに、お墓を管理する人間が高齢になったり亡くなったりしてしまった場合はどうすればいいのだろう…などといった問題まで考えなければいけないとなると、手が出しづらくなるのも無理はないでしょう。

 

ただ、このような人が増えるとお墓に関わる人間たちは困ってしまいますよね。
なんといっても食いぶちがなくなりますので。

 

となると、そういった方々や業界は新たにお金を稼ぐ手段を見つけなければいけませんし、いままでお墓をおすすめしていればよかった場面においてもそれに代わる何かを提案する必要が出てきます。

 

そこで、いつの頃からかいろいろと変わった供養の方法が登場してきているわけですが、今回はその中でも「永代供養」というものに触れてみたいと思います。

 

永代供養とは、ざっくり説明すると霊園や寺院が残された家族や子孫に代わって遺骨の管理や供養を行うことで、そのため子孫がお墓を継承する必要などはありません。
したがって、上記の問題点を解決するという意味ではひとつの方法だと思います。
蛇足ですが、ひとくちに永代とは言っても施設によっては数十年間などといった期限を設けていたりもしますので、そのあたりは要注意です。

 

とまぁこんな永代供養なのですが、パッと聞くと「ふ~ん、そんなのもあるんだね」といった印象を受ける方が大多数でしょうか。
なかには「それいいね」と感じられた方もいらっしゃるのかもしれません。

 

ただ、私個人の印象をお伝えするなら「???」です。
正確に表現するなら「霊園や寺院に供養してもらってどうするの?」でしょうか。
私としてはこの点が猛烈にひっかかるんですよね…

 

そこで、ちょっと自身の頭の中を整理してみたのですが、どうやら私の疑問の源は「無関係な人間のする供養って意味あるの?」という部分にあるようです。

 

あらかじめお伝えしておきますが、私は仏教にまったく興味がありませんので供養の真の意味などは知りません。
ですので、「供養の本当の意味は…」的な突っ込みはご遠慮ください。
あくまでも素人の感覚で「亡き人を偲びながらその人の死後の幸せを願う行為」ぐらいにしかとらえておらず、ここでもその体で進めていきます。

 

その上で思うのですが、供養って「亡き人に対して想いがある人がするからこそ意味があるもの」じゃないんですかね?
ついでにちょっと考えてみてください、生前にまったくもって無関係だったお坊さんとかにしてもらう供養って意味ありそうですか?
お坊さんに大層なことを言われても、私は残念ながら「は?」としか思えません…
それはきっと私が供養する側の一員だったとしても、仮に供養される側になったとしても同じだと思います。
さらに言うなら、あろうことかなぜかお金を徴収するシステムだけはしっかりと構築されているようなので、その事実が「ただでさえ低そうな”赤の他人による供養の質”」を追加で100倍ほど低下させているような気がします(笑)

 

これ以上書くと「供養を他人に頼むのってそもそもアリ?ナシ?」などといったところまで広がって全然まとまらなそうです。
ってことでこのあたりでやめておきますが、こんな疑問を抱くのって私だけなんですかね???

 

 

 

 

 

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