死別をすると、なんだか「自分」や「自分の大切な人」だけが特別な経験をさせられているような気になりますよね…
なんなんでしょうね、あの感覚。
だって一年ごとに120万人もの日本人が亡くなっているわけですよ。
本来ならまったくもって「だけ」ではないはずです。
それに、最終的にはすべての人間が大切な人との死別を経験するわけですから、それを考えるとますます「だけ」ではないと言えます。
にもかかわらず、あの感覚、つまり「おかしなことが自分たちだけに起こっている」という感覚を抱いてしまうわけですから、人間というのは本当に不思議なものです。
きっと、どこかで教育が間違ってるんでしょうね。
それか、「人間なんて結局自分を中心にしか考えられない」ということを、「神様」がわざわざ教えてくれているのかもしれません。
それにしても、この「自分や自分の大切な人だけ」という感覚は、私たちが感じる悲しみをどのくらい水増ししているんでしょうか…?
私は以前からそれがずっと気になっています。
いえ、気になっているどころか、「間違いなくこの感覚のせいで大幅に悲しみが増幅されている」と感じてもいます。
なので、逆に考えるのであれば、このやっかいな感情さえコントロールすることができれば、私たちは相当量の悲しみを減らすことができるはずです。
仮にそこまでではなかったとしても、死別によりいじけてしまうようなことぐらいはきっとなくなるのではないでしょうか…
第一、AIがもてはやされ、まもなく完全自動運転車までもが出現しようとしているこの時代において、いまだにはるか昔からの思考回路のまま誰かが亡くなるたびに絶望しなければならないなんて、悪い冗談としか思えません。
そう考えると、テクノロジーだけでなくこういった分野にも革命があってしかるべきだと思いますし、いい加減そんな時代だとも思います。
それとも、多くの人は自分の子供や孫にも似たような道を歩ませたいのでしょうか…?
まぁいろんな意見はあるのでしょうけど、ことあるごとに同じことを繰り返すことだけは、このケースにおいてあまりにも不毛な気がします。
というわけで、気が向いたらみなさんもこういったことを考えてみてください。
何かが変わるかもしれません。
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