亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

ちょっとした疑問

 

 

私の場合、亡くしたのが交際相手だったこともあり、「そうはいってもやっぱり伴侶とは違うから」といった内容をメインとした「われわれは無償の愛知ってるぜアピールとでも呼ぶべき意見」をかなりもらいました。

 

 

思うのですが、もし本当にそれが「無償の愛的なもの」であって、しかもその方々がそういったものを知っているというのであれば、死別ブログ界隈なんてほぼ無条件に他人の幸せを祝福できるような場所になっているはずだと思うんですが、これって私の考え過ぎなんですかね…?
というのも、二人が育んだものが無償の愛であるなら、遺された人間に対して故人がヤキモチを焼くなんてことはあり得ないはずですし、新たな人との出会いを故人が悲しむことだってありません。
当然、そんなことで議論になるはずもありません。
それに、無償の愛というものを知っている以上、遺された人間が誰かの恋愛に対して僻んだり妬んだりすることだってないはずですから、やっぱり議論になることはないはずです。

 

 

だっていいですか。
そこにあるのは無償の愛なんです。
そしてそこにいる方々は、曰く「誰よりも幸せの素晴らしさを理解している」方々でもあるんです。
それに加えて、大切な人を亡くす悲しみまで経験されているわけですから、誰かが踏み出す新しい一歩に関して、祝福こそあったとしても、争いなんて起こるはずがありません。

 

 

なのに実際は、「亡くなった人間に申し訳なくないの?」とか「亡くなった方がかわいそう」とかいった理由で、新たな一歩を踏み出すことに対していつになってもバカみたいな議論がなされてしまうんですよね。

 

 

そういったことを考えると、この話のどこかには何かしらの嘘が存在しているんでしょうね…
とはいっても、私はそれを解明したいわけではありません。

 

 

私はただ、伴侶を持ったことがある人間にしかわからないとされるその「無償の愛的なもの」とやらは、いったいいつになったら披露してもらえるんだろうと思いながら、ずっと待ってるだけです。

 


それともそれって、二人の間だけのごくごく狭い関係にしか成り立たないものなんですかね…?
もしそうなら、やっぱり他人にアピールすることではないのかもしれませんね…

 

 

 

 

にほんブログ村 恋愛ブログ 恋人との死別へ
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
いつもありがとうございます。クリックして頂けると、励みになります!