亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

日本人はどこにいった?

 

今日は、相当に個人的な意見ですので、適当に読み流してください。

意見というよりは疑問と言ったほうが正しいかもしれません。 

 

 

私の場合、死別から立ち直るまでに相当の時間がかかりました。

とはいっても、悲しみが癒えたのはもう少し早かったと記憶しております。

というのも、私の中では、残りの人生でやりたいことが見つかった時点を「立ち直り」と認識しているため、悲しみが癒えた時期とは多少のずれが存在するのです。

 

ちなみに、死別の悲嘆に苦しんでいる期間、私が「外の世界」に助けを求めることはありませんでした。

(この場合の「外の世界」とは、遺族の集いや、グリーフケアに関する本や講座といったものです)

 

とは言っても、助けを求めなかったことに特に理由はありません。

そういったものが存在することを知りませんでしたし、それゆえに探そうともしなかっただけのことです。

簡単に言うと、選択肢になかったわけです。

 

ところが、最近になってそのような「外の世界」の存在を知り、そういったものについて考えることが増えてきました。

そんな中で、違和感を感じるとともに疑問に感じていることがこれです。

 

「日本人はどこにいった?」

 

おそらく、このままではまったく意味がわからないと思いますので、説明していきます。

 

 

グリーフやグリーフケアといった言葉 

みなさん、グリーフやグリーフケアという言葉を聞いたことがあると思います。

(ご存知ないという方はGoogle先生に訊いてください)

これらの言葉は頻繁に目にしますし、おそらく死別関連の世界では常識なのでしょう。

現に、私が最近になって参加した遺族の集いでもこういった言葉は使われてますし、ネットで検索するだけでもたくさんヒットします。

 

では、これらの言葉はどこからやって来たのでしょう?

 

これは簡単ですね。

英語ですから、アメリカかイギリス、もしくは英語を使用する他の国ということになります。

ただ、言葉だけが飛んでくるわけでもないでしょうから、死別や悲嘆に関するさまざまな研究の成果とセットでやってきたのでしょう。

そして、これらの言葉や研究の成果が徐々に広まっていった、おそらくこんな流れだと思います。

 

ちなみに、欧米ではこういった研究が進んでいるようで、その考え方や研究結果を日本が参考にしてきた、そして現在も参考にしているという図式なようです。

詳しいところまではわかりませんが、少なくとも私はそんな印象を受けております。

そういえば、死別関連で著名な方々のプロフィールに「アメリカで学び……」といった記載がよくありますが、ここにもそういった点が表れているのかもしれません。

 

少しややこしくなってきましたが、

「死別や悲嘆に関連する分野の研究は欧米が第一人者であり、日本はそれを参考にしている」

こんな感じで構わないので、これをしばらくのあいだ覚えていてください。

 

 

アメリカ人と日本人

では次です。

次は、欧米人と日本人の違いについて考えてみましょう。

欧米人というのもなんですので、アメリカ人としておきましょうか。

ということで、アメリカ人と日本人の違いです。

 

もうこれはたくさんありますね、そもそも人種が違いますし国も違います。

その他にも、

言語・宗教・文化・ライフスタイル・メンタリティーなど…

数えきれないほどの違いがあります。

 

この数ある違いの中で私が特に気になるのは、宗教の部分です。

なぜなら、宗教は死生観などに大きな影響を与えるものだからです。

 

ご存知のように、アメリカではキリスト教が、そして日本では神道仏教が多数派*1であり、それぞれの宗教の死生観が大きく異なることについては、ご理解いただけることでしょう。

単純なところで考えても、キリスト教は死後の生まれ変わりを前提としていないのに対して、仏教は生まれ変わりを前提としています。

もっとも、ここで問題になるのは宗教の内容ではありません。

問題になるのは、死生観が異なるという部分です。

 

ちなみに、仮に日本人を無宗教と考えたしても、キリスト教を信仰していない以上、アメリカ人と死生観が異なることにやはり変わりはありません。

 

 

疑問

こうなってくると、疑問に思いませんか?

 

「死生観が違う人を対象にした研究ってあてになるの?」

「そんな研究結果を参考にしていいの?」

 

少なくとも私は違和感を感じますし、疑問に思います。

 

死に対する考え方だけではありません。

育ってきた環境、そしてそれによって形成されるメンタリティーなども違うわけですから、死の受け止め方も異なるはずです。

当然、死別からの回復過程にも少なからずの違いがあることでしょう。

 

それにも関わらず、日本においては、アメリカの研究者の研究結果や考え方、そして彼らによって執筆された書籍などが大いに参考にされているわけです。

あくまでも素人の意見ですが、これって大丈夫なんでしょうか?

それにあの横文字の使われっぷりを考えると、もしかしたら参考にしているどころの騒ぎではないのかもしれません…

 

その一方で、そういった日本人の偉い方々はこの言葉を多用しています。

「死別の悲しみは人それぞれ」

確かにそうだと思いますし、この意見には私も完全に同意します。

ただ、このようなことをおっしゃっている割には、アメリカの研究結果や考え方に関しては、盲目的に受け入れてしまっている気がします。

アメリカに対してはやけに素直だな…

これが、私の正直な印象です。

 

アメリカ人と日本人の違いは、果たしてきちんと考慮されているのでしょうか…?

日本でなされるグリーフケアとやらに、その違いは果たしてキッチリと反映されているのでしょうか…?

 

私にはよくわかりません。

 

もしかしたら私がひねくれているだけなのかもしれません。

ただ、死に対する考え方ひとつとってみても、少なからず日本人特有のものがそこにあるような気がしますし、死の受け止め方やそれに伴う悲しみにも日本人特有の部分がある気がします。

いや、絶対にあるはずです。

 

もちろん、アメリカの研究を参考にしても最終的な結果は変わらない、ということであれば何も問題はありません。

しかし、アメリカの研究を重要視するあまりに「日本人にどこかで無理をさせていないか」ということが、個人的には非常に心配です。

 

そういった意味では、日本人による日本人のためのグリーフケアというものが確立されるといいのかな、なんてことを思ったりします。

こんなわけで、今回は「日本人はどこにいった?」というタイトルとさせて頂きました。

 

 

ここまで言いたい放題書いてきましたが、日本人の精神性などはとっくに織り込まれており、日本人のためのグリーフケアがすでに確立され実施されていることを強く望みます。

ただ単に、無知でバカな私がそのことを知らなかっただけということであれば、何も問題はありませんし、私が勝手に心配している「アメリカ的な考え方を押し付けられて困っている日本人」も、そもそも存在しないということになりますから。

(ただその場合であっても、多すぎる横文字だけは気になります…)

 

 

読み流してくれと言ったわりには長くなってしまいましたね、すみません。

ちなみに、アメリカは好きです。念のため。

それに、横文字も苦手なわけではありません。

ただ、日本において死別を扱うにあたっては、横文字は少し馴染まない気がするだけです。

 

 

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*1:ここでは話の都合上、神道仏教をまとめております