前回の記事で、故人と会うのにお金はかかるべきではないしそんなことはあってはならないという内容を書きました。今回はそれに少し関連する内容です。とりあえず書いていきます。(前回の記事は、こちらをご確認ください)
故人のためにお金を使うことを、みなさんはどうお考えでしょうか?
おそらく、それほど抵抗はないと思います。なにせ自分にとってはものすごく大切な人ですから。とはいっても、もちろん金額には限度があるでしょう。
それでも、「故人のためにお金を使う」という行為だけを考えた場合、やはりあまり抵抗はないのではないでしょうか。
さて、ではここでよく考えてみて欲しいのですが、「故人のためにお金を使ってもいい」という先ほどの気持ちの中に、余計な感情は混ざっていませんか?
例えば、こういった感情です。
- もう2度と会えない…
- 助けてあげられなくてごめん…
- 向こうの世界で少しでもいい思いを…
こういった感情は、誰もが抱くものである反面、「払ってもいい金額」を押し上げてしまうので注意する必要があります。また、こういった感情をお金で解決できるのかといったことも考えてみる必要があると思います。
余計な感情が金銭感覚を狂わせていることを理解する
ご自身では気付いていなくても、先ほどの感情は多かれ少なかれ「払ってもいい金額」を押し上げているはずです。
言い方を変えると、金銭感覚を狂わせています。
この感情は勝手に生まれてくるものですから、金銭感覚が狂うのを防ぐことは難しいでしょう。しかし、自分の金銭感覚が狂っているということを認識しておくことはとても重要なことですので、この点はきちんと理解しておきたいものです。
例えるなら、車に乗る時と一緒です。
視力が落ちていることを知らなければ、そのまま運転をしてしまうことになり、大きな代償を払いかねません。しかし、視力が落ちていることを理解していれば、いろいろな対策が考えられます。めがね、コンタクト、運転を控える、といった具合に。
なぜこんな話をするかというと、人の死をめぐって大きなビジネスが存在しているからです。
誰であろうと、大切な人を亡くした瞬間から、否応なく死をめぐるビジネスに足を踏み入れることになります。準備などさせてもらえません。悲しみに沈み、自責の念や混乱を抱えた状態でこのビジネスへの対応を求められます。
そして当然のことながら、相手側は、死別直後の人間がどういう心理状態であるかなどといったことを熟知しております。
限りなく不利に思えるこういう状態であっても、自分の金銭感覚が狂っていることを理解してさえいれば、不用意な被害を避けることはできるはずです。
感情をお金で解決できるかを考える
「大切なのは故人を想う気持ち」
おそらく、この意見には誰もが賛同することでしょう。
しかし、この「故人を想う気持ち」を表現するとなると、人は残念なことに2つぐらいしか方法を知りません。
・故人のために何かをしてあげる
・故人のためにお金を使う
故人のために何かをしてあげるというのは、死別している以上、なかなか難しいものです。となると、後者の方法が残ります。
確かに、この方法は選択可能です。
- 葬儀
- 仏壇
- 戒名
- お墓
少しでも良い葬儀を、少しでも良い仏壇を、少しでも高位の戒名を、少しでも良いお墓を…
こう考えて、故人のためにより高価なものを選ぶことは確かに可能です。
しかし、このお金は誰の手に渡るのでしょうか?
そして、その結果手に入れたものを果たして故人は望んでいるのでしょうか?
さらに、先ほどの感情を満足させることはできるのでしょうか?
- もう2度と会えない…
- 助けてあげられなくてごめん…
- 向こうの世界で少しでもいい思いを…
よく考えてみればわかるのですが、こういった感情は使った金額に見合って減っていくようなものではありません。つまりお金でこういった感情は解決できないわけです。にもかかわらず、お金を使う段階ではこういうことを考えてしまい、つい高いものを望んでしまいます。
こんな時は、冷静に考えましょう。
まずは自分の金銭感覚が狂ってしまっていることを思い出してください。
そして、目の前にいるビジネスの相手側は、その狂った金銭感覚を利用しようとしていることを理解してください。
人の死をめぐるビジネスは、「大切な人を想う気持ち」というかなり繊細な部分をもとにして成り立っています。また、故人のリアクションがないため、本当の意味での結果が見えることはありません。その点をどう考えるかは人それぞれですが、金の亡者に食い物にされることだけは避けたいものです。
大切なのは、何よりも気持ちです。