今日は、故人と会う方法を考えるにあたって感じていることを書いてみます。
以前、故人と会う方法には実はいろいろなものがあるということをお話ししました。また、「普通に会いたい」ということにも触れました。(詳しくは以前の記事をご覧ください)
今日は、このような話を少し違った角度から考えてみたいと思いますが、その前に、私の考え方をもう少し付け加えておきます。
- スピリチュアル的なこと
- 交霊的なこと
- その他
世の中には、上記のように故人と会うための方法と言われるものが種々存在しておりますが、私はどれも試したことはありません。なぜなら、私は「故人と普通に会いたい」と考えているため、私にとってはどれも試すに値しないからです。
念のために「普通に会う」とは何かを再度説明しておきますと、それは一般生活で人に会うといった時に皆さんがイメージする「会う」です。つまり、手を伸ばせば届く距離で会うということであります。
となると、そんな「普通に会う」ことを望む私にとって、それを実現できない方法はやはり無意味なわけです。
だからといって、試していない以上は真偽のほどに物を申すつもりありませんので、ご安心ください。ただ、私の望んでいる「会う」とは相容れないだけのことです。
さて、ではこの会う方法について、別の角度から考えてみましょう。
さっそく質問です。
「みなさん、故人に会うためにお金は必要だと思いますか?」
「もしお金が必要だとしたら、それはいくらが妥当ですか?」
亡くなった人間と再会できると言うのはまぎれもなく奇跡でしょうから、やっぱり高くて当然だとお考えになる方もいらっしゃるでしょう。中には、お金に糸目はつけないとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、果たして本当にそうでしょうか?
私はそうは思いません。
私は、「故人に会うためにお金がかかるはずがない」と考えています。
理由は2つです。
・払う対象が腑に落ちない
・悲しみの代償にお金がかかるはずはない
では考えていきましょう。
払う対象が腑に落ちない
「誰に払うの?」
この点を考えれば、私の考え方が理解しやすいかもしれません。
仮にめでたく故人に会うことができたとして、それは誰に感謝すべきことなのでしょうか?
なかなか難しいところですが、私なら神や仏だと考えます。
というのも、大切な人が亡くなる一連の流れの中で、私は、助けてあげてほしいと神様に祈り、成仏してほしいと仏様に祈ってきたからです。であれば、再会できた暁にも、神様や仏様に感謝する姿こそ自然な気がします。おそらくこの点はみなさんも同じではないでしょうか。
それにもかかわらず、神様でも仏様でもない人間が急に現れ、その人間にお金を払うということに私は無性に違和感を感じます。しかも、その人間は今までの自分の人生になにひとつ関係がなかった人間であり、ポッと出てきたといっても過言ではない人物です。
こんなことを考えると、どうも話のつじつまがあわないというか、どこかで何か操作が行われていると感じるんです。
結局、人間に代金や料金を払うという行為に「???」となるわけです。
「あれ? これってただのビジネスじゃないの?」と…
もちろん、故人と会えることが確実であり、そこにニーズがあって、なおかつ利用者が納得しているのであれば問題はありません。ただ、「何分¥〇〇〇」とか「何時間〇〇〇円」とかやられてしまうと、どうもビジネス臭がひどいなと…
誤解していただきたくはないのですが、ビジネスを否定するつもりはありません、ただ、ビジネス臭が出てくると、なぜか懐疑的な気持ちが強くなってしまうのは仕方のないことだと思います。
お金がかかるはずがない
次にいきましょう。これもあくまでも私の意見です。
私たちは、そもそも「大切な人を失う悲しみ」という大きすぎる代償を払っています。なぜ、そんな私たちに更なる代償が求められるのか…
みなさんはその意味わかりますか? 私にはまったくわかりません。
というのも、ギブアンドテイクで例えるなら、もうこちらは「ギブ」している状況なわけです。しかも、この世のものとは思えないほどの「ギブ」です。なにせ自分の「命よりも大切な人」と、そして自分の心にあった「生きる希望」を「ギブ」しているわけですから。
だから、もしその続きがあるとしたなら、そこにはもう「テイク」しか残されていないはずなんです。
悲しみに暮れている人間に、「その悲しみを取り除くためにはお金が必要です…」なんてことがありえるでしょうか?
そんなことはあるはずがないし、あってはいけません…
人生はそんなに残酷じゃない…
私はつねづね、悲しい時こそお金がかかるべきではないと考えています。
だから、人生において最もつらい経験であるとされる死別において、それ以上何かを求めるような状況が存在してはいけないんです。そして、人間が人を思いやれる存在である以上、そのような状況を存在させてもいけないんです。
それなのに、もしそこにお金がかかるシステムが存在しているのなら、もうそれは死別をチャンスとしたビジネスにしか見えません。
もっとも、こういった方々にも生活があるのでしょうし、少なからずニーズもあるのでしょうから、実際はやむを得ないことなのかもしれません。ただ、それでもひとつだけ言わせてください。
「悲しみに暮れている人からお金を取るなら、会えなかったは許されないし、ぼんやり会えた気がするも許されない。故人に会いたくてまっすぐにその方法を信じている人の、その純粋な心に、完全に応えてあげてほしい」
もう、これ以上傷つく人間は見たくありません…