亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

他人と違うことをする勇気

 

今回は、他人と違うことをする勇気について少しだけ書いてみます。

とはいっても大げさな話ではありません。
簡単に言うなら、最後は自分で考えて行動して構わないという話です。
もっとも、具体例がないとピンとこないと思いますので、死別に関する内容で二つほど例を挙げてみます。

たとえば、大切な人が亡くなってもなぜかみんなと同じようには悲しめないという方もいらっしゃることでしょう。
これは多くの人間にとってはにわかに信じられない話かもしれません。
だからといって、多くの人間の期待に応えようとして悲しむ必要はありません。
悲しみをそれほど感じない理由は、大切な人との間に「私たちが想像もつかないような特別な関係」を築けていたからかもしれませんし、あまりの衝撃で感覚が麻痺しているからかもしれません。逆に、ただ単に一般的な人間より冷めているという理由もあり得るでしょうし、それ以外の理由かもしれません。
いずれにしても、悲しみをあまり感じないのであれば悲しむ必要はないわけです。
たとえそれが他人とは違っていたとしても…

また、葬送についても同様です。
最近バリエーションが増えてきているとはいえ、いまだに多くの人間は仏式に則った一般的な葬送スタイルを選択することでしょう。
しかし、これも昔からの慣例なだけで、特に宗教を信仰していないのであれば、当然好きなようにしていいはずです。
たとえ、それがまた多くの人間と異なる形だったとしても…

そもそも、宗教は昔の「ある人間」が考え出したひとつの考え方にすぎないわけですから、それはすなわち私たちだって自分なりの考え方をしていいということを示しています。
もちろん、気が引ける方もいらっしゃることでしょう。
特に、宗教がなにやらたいそうなものだと感じている方はなおさらだと思います。
そういった方は、いまだに世界中に数えきれないほどの宗教が存在していることを思い出してみましょう。
そうすれば、みんながそれぞれ自分の考え方を「教え」として広めているだけだということにすぐに気付くことができると思います。
それに、もし宗教がものごとの真理や正義、はたまた死後の世界などを完全な形で説いているのであれば、とっくに統一されていてしかるべきです。にもかかわらず一向にその気配がないということは、結局そういうことです。
誤解されたくはないのですが、これは宗教を悪いといっているのではありません。
昔からある宗教でさえもそうなのだから、私たちだって自分なりに考えていいということが言いたいだけです。

「昔からあるから」「多くの人間が信仰しているから」…
こういったことはまったく気にする必要がありません。
あまりにも何か言われるようなら、「じゃあ世界にはなんでこんなに宗教がたくさんあるの?」「いまだにそれぞれが統一されない理由は?」「いまだに宗教がらみの戦争がなくならない理由は?」といったことを質問して、誰もが納得いくような返事をもらってください。
繰り返しになりますが、たとえ宗教とはいえ、みんなが自分の気に入った考え方を自由に支持しているだけですから、私たちも自由にすればいいだけの話ですし、気に入った考え方がないというのなら自分なりの考え方をすればいいだけの話です。

以上、極端な例も含めて触れてみましたが、それでもやっぱり他人の目が気になってしまうという方は、いつの時代も他人と違ったことをする人間が新しい世界を切り開いてきたことを思い出してください。
規模と状況が多少違う話ではありますが、少なからず勇気づけられることでしょう。。

なお、なによりも恐ろしいのは、たった一度きりの人生を自分以外の人間の考え方や常識に従って盲目的に生きてしまうことです。
そしてさらに悲惨なのは、完全に手遅れな状態でそのことに気付いてしまうことであり、それを後悔してしまうことです。


「自分で考え、自分が信じた道を進む」

一度きりの人生ですから、できればそうありたいものです。
そのためにも、みなさんが早めに立ち直り、少しでも長く有意義な人生を過ごせることを願っています。

 

 

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