「死別経験を語るかどうか」
これは人によってそれぞれだと思います。
思い出したくないといった理由で語らない方もいらっしゃるでしょうし、逆に、悲しみの共有などを目的として語る人もいらっしゃるでしょう。
ついでにもし「語る人」をさらに細かく分けるのであれば、積極的に語ろうとする人間と、消極的な人間、つまり訊かれたら答える程度の人間に分かれるのでしょう。
私はといえば、どちらかというと積極的に語るほうなのかもしれません。
なぜなら、死別経験を話すことは非常に重要だと、自分で考えているからです。
では、なぜ私はこれを重要だと考えるのでしょうか?
それには2つの理由があります。
ひとつは、忠告です。
「思いがけないことが病気の兆候だったりするので気を付けたほうがいい」
「私みたいにならないように大切な人を出来る限り大事にしたほうがいい」…
こういったように、死別経験を語ることには「大切な人を亡くした人間」から「大切な人がいる人間」への忠告やアドバイスとしての役割があると考えているからです。
そしてもうひとつは、故人、すなわち大切な人の存在を知ってもらうためです。
「その日その時代に素敵な人がいた」
たった数人、数十人しか知らないこのことを、できれば他の人にも知ってもらいたいからです。
もっとも、人によっては、本人が生きていない以上この行為はまったく意味を持たないとおっしゃる方もいるかもしれません。
しかし、本人の生きた証を残すということが、私にはどうしても無意味なことには思えません。
ですから、きっと意味があるだろうと信じています。
ちなみに、武勇伝感覚で死別経験を語る人間も中にはいるようですが、これについては違和感を禁じ得ません。おそらく、自分に注目してもらいたいがための行為であり、それは悲劇のヒロインに近いものなのでしょう。
重要なのは、故人に注目してもらいたいと考えているかどうかです。
そして、故人のことを考えた上での行為であるなら、それはきっと「愛情」なんだと思います。
とにもかくにも、以上のような理由により、私は基本的に死別経験を語るようにしています。
考え方次第ですが、死別経験について話をすることはきっと誰かの役に立つような気がします。死別なんて誰も望まないことですが、起こってしまった以上は何かしらの意味を持たせてあげたいものです。
↑ いつもありがとうございます。クリックして頂けると、励みになります!