私には、人生においてやりたいこと、成し遂げたいことがあります。
それがどのようなことであるかはさておき、こういったものができたことで、それまでどうでもいいと考えていた人生に核ができたような気がします。
とはいっても、立ち直ったから自分のやりたいことが見つかったのか、やりたいことが見つかったから立ち直れたのか、どちらかはよくわかりません。もちろん、普通に考えるなら前者ということになるのでしょうけど、私の場合は後者もかなり当てはまっているような気がします。
いずれにしても人生の中でやりたいことがあるというのは非常に重要なことで、後者の場合のように、時としてそれが立ち直りのきっかけを与えてくれることだってあるでしょう。
ちなみにこの「やりたいこと」ですが、私はどんな小さなことでもいいと思っています。ただ、すぐに達成できるようなものでないことが望ましいのでしょう。と同時に、それを「自分の力で見つける」ことが大切であると考えています。
「見つける」ことに関してはあとで触れるとして、「自分の力で」という点に関してはそれほど難しくないはずです。誰かに相談したりアドバイスされた結果として自分の「やりたいこと」が見つかったとしても、最後に「やりたい」と決断するのが自分である以上、基本的には「自分の力で見つけた」と言えるのでしょうから。なのになぜこんなことを条件として挙げているかというと、「自分の力で見つけた」と意識できること自体も非常に重要であるように感じているからです。
さて、ではやりたいことにはどんなものがあるのでしょうか…?
これははっきり言って人それぞれだと思います。
故人の夢を実現したい、故人のために何かしたい、人の役に立ちたい、子育て、仕事、趣味…
おそらく、多くの人間は多少なりとも故人に関係することを考えようとするのでしょう。でも、故人と無関係なことでもいいはずです。
自分が「やりたい」と思うことであれば、なんだっていいんじゃないでしょうか。
そうはいっても、大切な人を亡くして人生に絶望している方も多いはずですから、そういった方々にとっては「やりたいこと」を見つけることさえも簡単なことではないと思います。ただ、たとえ本当に小さなことであっても、「やりたいこと」を自分の力で見つけ出すことができれば、そこから先は多少なりとも何かが変わってくるように思います。そして、それに取り組んでいるうちに心境が変化してくることだって期待できるでしょう。
ついでに言っておくと、物事を「しなければいけないこと」として捉えるのか、それとも「やりたいこと」として捉えるのか、それだけでも大きく違うような気がします。
なお、自分のやりたいことや成し遂げたいことが見つかった場合には、それ以降の外野の声に耳を傾ける必要は一切ありません。
なぜなら、自分自身で「やりたい」と思っているということ、それだけで十分だからです。
これは、「立ち直るためにはいろいろな人間の話を聞くべき」という話とはまったく別の話です。
やりたいことが見つかったなら周囲を気にする必要はまったくありません。
「やりたいこと」これは大きく言うなら人生の目標と言えるのかもしれません。
ですから、なにも死別に限定される話ではなく、人生を生きていく上で必要なものなのでしょう。ただ、死別して人生に絶望しているからこそ、誰よりも早くそれを見つけるべきなのは間違いないように思います。
そして、それは「やりたいことなんかない」と受け身でとらえるものではなく、きっと自分で見つけにいくものなのでしょう。
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