亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

先がいいか、後がいいか

 

 

 

 

「相手が先に亡くなるか、それとも自分が先に亡くなるか…」

 

 

 

これを読んでも、人によってはまったくイメージが湧かないという方もいらっしゃることでしょう。
また、どこか遠くで起きる現実味のない話のように聞こえてしまう方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、これは多くの人間が直面する非常にありふれた問題です。
それどころか、普通に考えるなら誰もが必ず経験することと言ってもいいでしょう。

 

 

ちなみに、イメージが湧かないという方は、次のことを順番に考えてみてください。

  • 人間には寿命があること
  • だから必ずいつか二人とも亡くなること
  • とはいってもお互いが同時に亡くなる可能性は極めて低いこと

こうやって考えれば、ご自身もほぼ確実に冒頭のケースに当てはまることがわかると思います。
つまり、非常に考えづらい特殊なケースを除けば、大切な人と歩む人生において必ず通る道と言えるわけです。

 

 

あとはタイミングだけの話になります。
果たして、いつそれが起きるのか?

 

 

こればかりはなかなか難しいところです。
仮に普通に考えるのであれば、やはり平均寿命というのはひとつの目安になるでしょうか。
そういう意味では、まだまだそういった年代ではないという方は安心してもいいのかもしれません。

 

 

とはいうものの、何が起こるかは誰にもわかりません。
それに、思い出してみてください。
誰もが必ずする経験であり、大切な人と歩む人生において必ず通る道だということを。

 

 

ですから、普段からこういったことを意識しておくことは非常に大切だと私は感じています。

 

 

ちなみに、自分や相手が亡くなった時のことを考えておくというと、一見マイナス思考のように聞こえるかもしれませんね。
でも、それは違います。
どういうことかというと、いつか訪れるであろうその時におびえ目を伏せ続けるのではなく、その時をしっかりと意識しておくことで、それまでの「二人の歩み」を充実させておこうということです。
なにも「プラス思考である」とまでは言いませんが、「二人の歩み」をさらにプラスに持っていこうとするものであり、どちらかが亡くなった時のショックもできるだけプラス方向に、すなわちできるだけそのマイナス幅を減らそうとするものでもあります。

 

 

 

さて、では何を考えておけばいいのでしょう。
これこそ難しいところですね。
ただ、こういった内容には先日少し触れましたので、今回は割愛させてもらいます。

 

sms2001.hatenablog.com

 

 

 

では、ようやくといったところですが、タイトルにあります「先がいいか、それとも後がいいか」について考えてみましょう。
これは言い換えると、「先に亡くなりたいか、それとも後に亡くなりたいか」ということであり、「大切な人を遺したいか、それとも大切な人に遺されたいか」ということでもあります。

 

 

いずれにしてもイヤになっちゃうような話ではありますが、まぁそう言わずに少し考えてみましょう。

 

 

ちなみに、私は遺されたいと考える側の人間です。
「先がいいか、後がいいか」と訊かれたら、迷わず「後」を選びます。
理由は、あんな思いを大切な人にさせたくないから、これに尽きます。

 

 

とはいっても、死別当初はそのように考えていませんでした。
というのも、当時は私自身が悲しみや苦しみから逃げ出したくて仕方ありませんでしたから。
当然、もし当時の私がこの質問に出会っていれば、絶対に「先に亡くなりたかった」と回答していたことでしょう。
しかし、いつの頃からか「後で良かった」と思うようになったというわけです。

 

 

おそらく、このあたりは意見が分かれるところでしょう。
また、私のように死別からの経過時間によっても変わってくるところだと思います。

 

 

これはあくまでも私の考えですが、死別当初は自分が感じる悲しみや苦しみが想像以上に大きいため、誰もがその状況からの脱却を望み、いっそ自分が先に亡くなってしまえばよかったと思いがちな気がします。
つまり、「遺されなければこんな思いをしなくて済んだのに…」という理論です。

 

 

ただ、だからと言ってその逆を望むわけでもありません。
補足すると、「こんな思いをするぐらいなら自分が先に亡くなりたかった…」と言っているからといって、それがそのまま「相手にこんな思いをさせたかった」という意味ではないということです。
もちろん、本来は二者択一であるわけですから、仮に自分が先に亡くなることを望むのであれば、それは相手を遺し、相手が苦しむことを望むのとほぼ同意です。
しかし、そんなはずがないことは言うまでもありません。
そう考えると、二者択一であるとはいえ逆を考えられないような精神状況の中で、自分の苦しみをどうにかしたいとひねり出した結論が「先に亡くなりたかった」というだけの話なのでしょう。
つまり、自分に降りかかる苦しみを振り払うのに精いっぱいであり、もしそれが叶った場合には同じ苦しみが相手に降りかかってしまうという重大なことに気づいていない状況ということです。
簡単に言ってしまえば、自分のことしか考えていないということなのかもしれません。

 

 

ですが、死別からしばらくすると、これが二者択一であることにようやく気付きます。
そして、それに気付いた途端、自分が遺されたいと考えるようになるわけです。
でなければ、大切な人がこの悲しみや苦しみを背負わなければいけませんから。
そういう意味では、多くの死別経験者が、日々の経過とともに「自分が遺されて良かった」と感じているのではないでしょうか。

 

 

これは、自分のことしか考えられなかった状況から、相手のことが考えられるようになったということであり、ある意味で死別によって成長した部分と言えるでしょう。
そしてもしかすると、これは数ある立ち直りのサインのひとつであるのかもしれません。
また、死別経験者にはどことなく人間的な幅を感じることがありますが、それにはこういったことも影響している気がしています。

 

 

このように書いてきましたが、私の例からもわかるように時期によっても回答は変わります。
ですから、どちらの答えを選択したからといって責められるようなものではありません。
しかし、いつまでたっても「自分が先に亡くなりたかった」と感じているようなら、それはもしかしたら危険信号かもしれません。
なぜなら、事実と願望が食い違っている以上、人生が自分の思うようになっていないと感じている証拠ですし、それは自分の人生に対する憤りや恨みにつながりかねないからです。
特に、偶然であるわりにはどうやっても取り返しがつかない出来事ですから、それが余計にストレスとなることでしょう。
これ以上は書きませんが、もしご自身がこのような状態に該当していると感じるようであれば、考え方を変えることをオススメします。

 

 

最後に

 

 

「死のタイミング」という偶然に大切な人生を左右されるのは仕方ないのかもしれません。
ただ、それをきっかけに「人生を恨んだり」「人生を棒に振ったり」してしまっては非常にもったいないと思います。

 

 

今となっての話ですが、私は、心の底から遺されて良かったと感じています。
それだけでなく、遺された人間全員がいつかこう感じるようになることを願ってもいます。
そうすれば、誰もがいつか自分の人生を受け入れられるはずですし、それはきっと前を向くために必要なことでもあるはずですから。
なにより、「遺された人間の悲しみや苦しみ」を大切な人に味合わせずに済んだわけですから、そのことについては全員が誇りに感じてもいいのではないでしょうか。

 

 

というわけで、大切な人生をこれからも大切に生きていきましょう。
きっと故人もそれを望んでいるはずです。