亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

死別に翻弄されないために



 

死別に翻弄されないためにはどうすればいいのか?


今までにも似たような内容に触れたことがある気がしますが、この機会に再度考えてみたいと思います。

というのも、今年の夏は「水の事故」に関するニュースを目にすることが多く、急に大切な人を亡くした遺族の気持ちを考えると、なんだかいたたまれなくなったからです。
ただ、ここから先は個人的な意見にすぎませんので、そのつもりで読んでいただけると助かります。

とその前に、「死別に翻弄される」という言葉を私がどういう意味で使っているかを説明しておきましょう。
これは、簡単に言うなら死別によって人生がぐちゃぐちゃになってしまうことです。
もう少し丁寧に書くなら次のような感じです。
「悲しみや自責の念や後悔が入り混じり、人生に絶望したり、自暴自棄になったり、何もかもがどうでもよくなったりと、大切な人との死別をきっかけに人生が望まない方向へと進んでいくこと」

おわかりいただけましたでしょうか?
当時、まさに私が陥っていた状態でもあります。


ちなみに、こういったテーマで書こうとはしてますが、再び大切な人の死に直面したとしたら、私自身もどうなるかわかりません。
強がってはいても、以前と同じようにあっけなく死別に翻弄されてしまう可能性だってあります。
ただその一方で、以前よりはるかに冷静に受け止められそうな気もしています。
それはもしかしたら、多少なりとも死別に対する心構えが出来ているからなのかもしれません。

 

 

さて、前置きはこれぐらいにして、死別に翻弄されないための方法を考えていきましょう。

私が現時点で特に意識しているのは以下の2点です。
そして、これからそういった経験をしてしまうであろう方々に意識しておいてもらいたいのもこの2点です。

  • 人は必ず亡くなる
  • 必ず後悔する


文字にしてみるとごくごく当たり前のことですが、この2点を理解しておけば、今よりは冷静に大切な人の死別を受け止められるようになるはずです。
ちなみに、これは私が自分の経験から学んだことでもあります。
とはいっても、簡単に理解できたわけではなく、「大切な人との死別」や「その後の長期に渡る悲嘆」という経験と引き換えにようやく理解できたものです。
ただ、こんなことはそれほどの苦労をせずとも理解できるはずですし、そうあってほしいと考えています。
ですから、こうして文章にすることによって伝えることができればと思うわけです。


では、一つずつ説明していきましょう。

 

人は必ず亡くなる


これはわざわざ言うほどのことでもありません。
当然のことです。
おそらく、誰に質問したとしても全員が理解しているはずですし、逆に言えば、このことを理解していない人はいないと言ってしまっていいのかもしれません。

しかし、本当にそうでしょうか?
よく考えてみましょう。

本当にしっかりと理解していると言えるのでしょうか?
もしかして、単なる知識として理解しているだけなのではありませんか?
もしくは、完全に忘れてしまってはいませんか?

これはあくまでも私の感覚ですが、「人は必ず亡くなる」というこれほどまでに当然のことであっても、これを本当に理解するためには、もしかしたら大切な人との死別経験が必要なのかもしれないと感じています。
少なくとも私の場合はそうでした。

ただ、そんなことを言っていたら元も子もありませんし、そもそも大切な人を失ってまでこれを理解したいと思う人間もいないでしょう。
それに、本来の目的は「人は必ず亡くなる」ということを理解することではなく、死別に翻弄されないことです。
ですから、どうにかして大切な人との死別を経験せずにこのことを理解したいものです。

では、そのためにはどうすればいいか…

私は、何度も何度も想像するしかないと考えています。

「目の前にいる大切な人が急に亡くなってしまったらどうしよう…」

これをことあるごとに想像してみるわけです。
中には、そんなことしたくないとおっしゃる方もいるかもしれません。
しかし、ぜひ想像してみてください。
あとになって「もっときちんと考えておけばよかった」などと後悔するよりはよっぽどマシなはずです。
それに、誰にでもいつか必ず起こることであり、冒頭の水の事故のようにいつ起きても不思議ではないことでもあります。
そう考えると、早いうちから考えておくにこしたことはありません。

どうでしょうか?
想像してみましたか?

もしこういったことが想像できれば、話はだいぶ早いように思います。
というのも、大切な人をより大切にしようと考えるようになるでしょうし、大切な人との時間をより大切にしようと心がけるようにもなるでしょうから。
喧嘩の仲直りだって早くできるようになるでしょうし、伝えたい感謝の気持ちだって早めに伝えられるようになるかもしれません。

ざっくり言うなら、大切な人に対する「やり残し」が少なくなるはずです。
そして日々をこうして過ごしていれば、死別した時の後悔は減るでしょうし、必然的に死別に翻弄される可能性も減るはずです。

もちろん、そうはいっても悲しみを感じなくなるわけではありません。
ただ、「常に相手のことを考えられた」という事実は、死別した時に抱きがちな「自責の念」の解消に少なからず寄与してくれるはずです。


さて、では次です。

 

必ず後悔する

 
大切な人を亡くすと、必ず何かしら後悔します。
こう書くと、上で述べてきた内容と少し矛盾するように感じるかもしれません。
しかし、決して矛盾しているわけではありません。
先に述べたのは、いつか死別するということを意識しておくことで、できるだけ後悔しなくて済む行動を取ろうということであり、ここで述べたいのは、それでもやはり後悔はしてしまうので「後悔は必ずするものだ」ということを理解しておこうということです。

では、後悔について少し考えてみましょう。

個人的にはどんな場面であれ後悔はしたくありませんが、反省につながるものでもありますので、何かを改善するということを考えた場合には必要な感情だと思います。
しかし、死別にまつわる後悔は、大切な人との関係だけで考えると何も生みません。
なぜなら、その後悔を次に活かすための相手はもうこの世に存在しないからです。
そういった意味では、死別にまつわる後悔には出口がなく、ただひたすらに自分を苦しめるだけと言えます。
それはまた、私たちが死別に翻弄される一因でもあります。

この死別にまつわる後悔ですが、私は大きく2つに分類して考えています。
一つは、「なぜ助けてあげられなかったのだろうか」という後悔であり、いわゆる自責の念です。
そしてもう一つは、「一緒にもっといろいろなことができたはず」という後悔であり、人間の欲に関係するようなものです。

もっとも、学問的にこの分類が正しいのかどうかはわかりません。
ただ、私個人としてはこのように分類すると「しっくり」きます。

では、ここでもそれぞれについて考えてみたいと思いますが、おそらくすぐに気付いたのではないでしょうか。
決して解決できないものであり、やはり絶対に後悔してしまうということに。

前者は、人間の生命に限りがある以上回避しようがありません。
つまり、いつか必ず亡くなるわけですから、「助け続ける」ことは不可能です。
そう考えると、「なぜ助けられなかったのか」という考え方をする限り、後悔は必ずします。

ちなみに、このことを理解していれば自責の念が必要以上に大きくなることはないでしょう。
しかし、もし理解していなければ、永遠に後悔し続けるはめになります。
そればかりでなく、その間ずっと自責の念に苛まれ続けることになるでしょう。
私自身がそうでしたので「助けられなかった」と後悔する気持ちはよくわかります。
ですが、人の死はあくまでも自然の摂理としてとらえるべきものであり、一個人が背負べきものではありません。
それをいつまでも問い続けるのは、自身にとって酷に過ぎると思います。

次に後者です。
わざわざ前置きをするまでもありませんが、大切な人と一緒に何かしたいというのは自然な感情です。
しかし、いくら自然な感情とはいえ、大切な人がすでにいなくなってしまっている状況でこみ上げてきた場合、その感情は私たちを後悔へと追いやりがちです。

「もっといろいろなところに行っておけば良かった」
「もっと一緒に過ごせば良かった」

このように、「一緒に出掛けたい」とか「一緒にいたい」というありふれた感情でさえ、いとも簡単に後悔を生み出します。
そう考えると、やはり後悔は必ずするものであると言っていいでしょう。


つまり、後悔はどうやってもつきまとってくるものであり、出口もありません。
そして、後悔すればするほど私たちの心はえぐられていきます。

ただ、もし後悔するのが当たり前ということを理解していればどうでしょうか?
少なくとも、後悔に振り回され続けるといったことはなくなるのではないでしょうか。
そればかりか、自責の念に苛まれ続けることもなくなることでしょう。

ですから、「何をどうやっても必ず後悔する」、このことは絶対に理解しておくべきです。
そうすれば、後悔をことさらに真剣に受け止める必要もなくなり、自分を追い込む必要もなくなります。
言い換えるなら、「あきらめる」ということなのかもしれません。

 

 

最後に

 

誰もが必ず亡くなるということを意識しながら日々を後悔のないように過ごし、その日がきてしまったらもう自分を責めない。

それはつまり、「後悔」をできるだけ小さくする努力をしつつ、ある日を境に感じざるを得ない「後悔」にとらわれないということです。


長くはなりましたが、こういったことを理解しておけば死別に翻弄される可能性はぐっと低くなるはずです。
それだけではありません、大切な人の存在に感謝でき、大切な人との日々をより丁寧に過ごせるようになるのではないでしょうか。

それは、たとえすでに死別を経験してしまっていても同様だと思います。
この先新たな伴侶や交際相手に出会う方もいるでしょうし、そもそも伴侶や交際相手だけが大切な人というわけでもありませんから。
それぞれが、自分が大切だと思う相手に置き換えて考えてみるといいのでしょう。

いずれにしても、死別に翻弄される人間が少しでも減ることを願っています。