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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

お墓に感じる疑問

 

以前に、私には大切な人のお墓や遺骨がないという話をしました。

 

sms2001.hatenablog.com

 

今回はこの内容に関してもう少し書いてみたいと思います。

 

 

 

なぜ私にはお墓や遺骨がないのか…

それは、私の大切な人が日本人ではなかったことや、当時の私が分骨などの知識を持ち合わせていなかったことが原因です。
そして以前の記事でも触れているとおり、死別してしばらくはお墓や遺骨がないことを気にしていました。

ただ、今となってはこれで良かったと思います。
なぜなら、こういった環境こそが、故人を大切にすることの重要性について私に深く考えさせてくれたような気がするからです。
それだけでなく、自由な発想や思考を許してくれたような気もします。

その結果として、お墓に関してはまったく気にならなくなりました。
それどころか、その問題点の多さに心配になっているほどです。

みなさんも、お墓に関する問題点についてはおそらく聞いたことがあるでしょう。
代表的なものを挙げると次のようなものがあります。

 

  • 遠い
  • 高い料金・価格(墓石代、墓地使用料)
  • お墓を継ぐ人がいない
  • お墓に意味を感じない人が増えている(宗教と結びつきが弱い現代人は特に)

 
確かに、どれをとっても問題に感じるようなものばかりです。
しかし、私が最大の問題だと感じていることはここに含まれていません。

それが何かと言うと、「故人を大切にしていない」ということです。
正確に言うなら、「故人をもっと大切にできるにもかかわらず、そうしていない」ということです。

もっとも、このままでは誤解される可能性もありますので、私が気になっている点とその理由をいくつか挙げてみます。

墓地は、故人にとっても遺族にとってもそれほどゆかりがある場所ではないのに、なぜそんなところに埋葬するのか?

→墓地で育ったわけでも、墓地で一緒に遊んだわけでも、墓地で想い出を育んだわけでもない以上、故人にとってもっと適する場所があるはず。

なぜ、故人をわざわざ遠い場所に埋葬するのか?

→故人の立場で考えれば、可能な限り大切な家族や大切な人のそばにいられるほうが嬉しいはず。(これは遺族の立場であっても同様)

なぜ、土の中に埋める必要があるのか?

→生きている間はそばにいたのに、死んだ途端どこか遠くの土の中というのは寂しいはず。(そうせざるを得なかったであろう土葬の時代が遥か昔に終わっている以上、もっと適した方法があるのでは?)

なぜ、お墓や墓石には故人の情報があんなにも少ないのか?

→故人を想い故人を偲ぶための場にもかかわらず、故人に関する情報が少なすぎる。

なぜ、お墓関連にあれほど高額なお金が必要なのか?

→故人のためのお金と考えたくなる気持ちはわかるが、そのお金は墓地や墓石や僧侶など、あくまでも業者のためのお金であり、仮にそういったことを気にしなくていい状況があれば、もっと故人を偲ぶことに集中できるはず。

 

などなど…

 

こういったことを考えていると、もっと故人を大切にする方法があるはずだと思いますし、最後にはどうしても「ある疑問」に行き着きます。

つまり、「お墓って必要なの?」という疑問です。

ちなみに私は、「従来のお墓」はまったく必要ないと考えています。
上に挙げた疑問などからも察してもらえると思いますが、故人を偲ぶためにはあまりにも力不足で、あまりにも高価で、あまりにも遺族の足を引っ張っている…
そう感じるのがその理由です。

悲しいことが起きたのになぜお金を必要としなければいけないのか?
大切な人を偲ぶ環境を作りたいだけなのになぜお金がかかるのか?
大切な人を偲ぶためになぜ遠くまで行かなければならないのか?
なぜ大切な人を気軽に思い出せるようなものではないのか?
本当に大切なものなのであれば、なぜ継ぐ人に困るような状況が生まれるのか?
本当に大切なものなのであれば、なぜお墓に意味を感じないという人間が生まれてしまうのか?

ここで、もう一度故人を大切にするということについて考えてみましょう。

果たして、故人を大切にするというのは…

  • お墓に高いお金をかけることなのか…?
  • 遠くにある墓地に埋葬することなのか…?
  • 年に数回しか墓参りに行けない状態を作り出すことなのか…?
  • 昔からの風習に従うことなのか…?

 

私には疑問が尽きません。


おそらくは、考えている順番が違うのでしょう。

故人を大切にするという点から考え始めるのか、それとも、風習や誰かが決めた形式に従うという点から考え始めるのか…

とはいっても、当時はこれが故人を大切にするということだったのでしょう。
土葬の時代や、宗教上のつながりが強かった時代など、昔の人々にとってはきっとベストな方法だったのだと思います。
ただ、それが現代にも適しているかと言ったら、それはやっぱり疑問です。

ひとつ言えるのは、もし現代にも適しているものであるなら、お墓の問題など生じないということです。
どこかしらに問題があり、誰かしらが疑問を投げかける…
だからこそお墓の問題が生じているわけです。

なお、ここまで問題点や疑問点について書いてきましたが、対案を出さないつもりはありません。
それに、「お墓がなければ遺骨はどうするんだ?」などといった話にもなるでしょうし。
ただ、長くなりましたので、そのあたりを記事に書くのはまた今度にします。
もし先に知りたいという方は下のサイトを確認してみてください。

www.omoide-so.com



最後に

故人を大切にするということ、そして、そのための環境を作るということ。
これからは私たちがこういったことを考える順番です。
ですから、風習にとらわれることなく今の時代に合った自由な発想をしていいはずですし、私たちであればきっともっともっと故人を大切にできる方法を見つけられるはずです。

 
※今回の記事は、従来のお墓を持っている方を否定するものではありませんので、その点について誤解のないようにお願いします。

 

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