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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

私にはお墓も遺骨もない

 

 

私には、お墓参りするためのお墓がありません。

それは、死別したのが交際相手だったからどうこうという理由ではなく、彼女が日本人ではなかったからです。

もちろん、本当にお墓がないわけではありません。おそらく、彼女の祖国にはお墓があるはずです。しかし、彼女の死後は、ただ一人日本にいた彼女の叔母とも疎遠になってしまったため、そのあとのことについてはもはや何もわかりません。

ですから、私にとってみれば大切な人のお墓は存在しないに等しいのです。

こういうわけで、お墓がある人を羨ましく感じていた時期がわずかながらありました。また、お墓参りできることを羨ましく感じていたような気もします。いや、正確に言うなら、遺骨を持っている人を羨ましく感じていた気がします。

当時20代前半の私ですから、遺骨を分けてもらうといった知識もありませんでしたし、そんなことは思いつきもしませんでした。当然、遺骨がないことをあとになって後悔するなんて夢にも思いませんでした。
それに、私にとっては死別を通して最もつらい瞬間が火葬でしたから、遺骨のことを考える余裕などなく、気付いたらすべてが終わっていたような気がします。今となっては、ひたすらに涙をこらえていた断片的な記憶が残っているだけです。

もっとも、分骨に関しては申し出たとしても断られていたかもしれません。なにせ向こうの宗教事情もよくわかりませんし、すべてカタコトでやり取りするような状況でしたから。

ただ、「もしかしたら今も手元に彼女のかけらがあったのかな」と考えると、少しだけ残念に感じる時があります。

一方で、もし手元に彼女の遺骨が少しでもあったなら、現実を突きつけられた気がして「いつかきっと会える」などと夢見がちなことは考えられなかったのかもしれません。
そう考えると、どちらが良かったとも言えない複雑な心境です。

ちなみに、今となってはお墓がないことはまったく気になりません。
遺骨に関して多少複雑な心境が残っているだけです。

そのせいでしょうか、遺骨が手元にあったらどうしていたんだろうと考える時がたまにあります。

おそらく、大切な人と同様に丁寧に扱っていたことでしょうし、毎日のように向かい合っていたはずです。ここらへんについては自分の性格ですから容易に想像がつきます。
ただし、納骨は決してしなかったでしょう。
なぜなら、墓地自体は故人にとっても私にとっても縁もゆかりもない土地ですし、そんなところの冷たい土の中でひとりでさみしい思いをさせるわけにはいきませんから。そして、私自身、大切な人をいつも身近に感じていたいと思うはずですから、やっぱり誰になんと言われようとも納骨せずに手元に置いていたことでしょう。

とはいっても、お墓も遺骨もない私にとってはこれもただの想像に過ぎません。そもそも、私の場合は日本にお墓を作るわけにもいきませんから、お墓のことなんか考える必要はないのかもしれませんし。

ただ、遺骨を全部納骨して後悔される方も中にはいらっしゃるようですから、こういった部分に関しては、不安定な精神状態にありながらも自分なりによく考えたほうがいいのでしょう。そして、こういう時にも故人のことを優先して考えるようにすれば、あとになって後悔することもきっと少なくなるのではないでしょうか。

あまり上手く言えませんが、遺骨が手元にあってどうするべきか選択できるというのは恵まれた環境な気がします。だからこそ焦らずに、じっくり考えて答えを出せばいいと思います。

私にひとつ言えることがあるとしたら、「きっと故人はずっとあなたのそばにいたいはず」、それだけです。

 

 

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