人生でもっとも幸せだった瞬間。
もしその瞬間を選べと言われたなら、私を含め多くの死別経験者が大切な人と一緒にいた瞬間を挙げることでしょう。
そのため、仮に好きな時代に戻れると言われた場合にも、当然のように大切な人がそばにいた時代を選ぶことでしょう。
おそらく誰も、大切な人と知り合う以前の時代に戻りたいとは思わないでしょうし、ましてや大切な人と死別した後の時代に戻りたいと思うことはないでしょう。
でも、大切な人はどう考えているのでしょうか。
怖いもの見たさというわけではありませんが、可能であれば確認してみたいものです。
もちろん、私と一緒にいた時代に戻りたいと言ってくれることを望みますが、こればかりはやはり本人に直接確認してみなければわかりません。
というのも、付き合ったことを後悔していたり、結婚したことを後悔しているなんて話はどこでもよく聞く話ですから(笑)
気を付けてもらいたいのですが、なにも大切な人の愛情などを疑っているとかそういう話ではありません。
「自分が考えていること」と「大切な人が考えている」ことはあくまでも別な可能性があると言いたいがために例を挙げただけです。
ちなみに、死別してからはこの両方を自分ひとりの頭の中で考えるようになるため、物事がいろいろと美化されたり、それとは逆に余計な苦しみが生まれたりするのかもしれません。
なお、こんなことを言い出して何がしたいのかというと、時として気楽に考えてもいいのでは?ということが言いたいんです。
先ほども触れたように、相手がどう思っているかは確認できません。
一見するとこれは悲しいことでありますが、実はいい面だってたくさんあります。
たとえば、「痛かっただろう、苦しかっただろう、無念だっただろう、悔しかっただろう…」
こういったことは、考える私たちの心を苦しくするだけです。
なにより、本人に確認しなければわからないことであることに間違いはありません。
いざ蓋を開けてみたら、本人はまったく気にしていなかったという可能性だってあるはずです。
再度言いますが、確認できない以上答えはわかりません。
だからこそ、苦しかっただろう…などと悪い方向にばかり考えるのではなく、全然苦しくなかったのかも…と考える余地も残っているはずです。
そして少しでもそういった視点を持てると、自責の念なども多少は軽減できるのではないでしょうか。
一方で、「大切な人はあなたに前向きに生きてほしい、幸せになってほしい、人生を満喫してほしいと願っているはず」と想像する点に関しては、想像するとおりに受け止めてあげればいいと思います。
なぜなら、これらはあなたを苦しめる内容ではなく、あなたにとってプラスに働く内容であるからです。
それはまた、大切な人の素敵な性格を良く知っているからあなた自身だからこそできることでもあります。
このように、自分にとってプラスになるような内容に関しては相手の気持ちを積極的に想像すればいいでしょうし、自分を苦しめるような内容に関しては、相手に確認してみないとわからないと逃げてもいいのではないでしょうか。
ご存知のとおり、自分を苦しめているのは基本的に自分の思考です。
誰に責められることではありませんので、上手く、時には都合よく考えることをオススメします。
そして、少しでも悲しみや苦しみがなくなることを願っています。
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