念のため貼り付けておきますが、大切な人の死を経験すると人に優しくなれるといった記事を以前に書きました。
しかし最近になって感じるのは、どうやらこれは私の勘違いだったということです。
多くの方からさまざまなコメントを頂くようになってから、ようやくそれに気付きました。
今頃?と言われれば、確かにそうかもしれません。私自身の死別からは長い長い日数が経過しているわけですから。
ただ、日常生活において、「死別経験者と認識した上で」死別経験者に会う機会は多くありません。ですから、なかなか気付かなかったのも仕方ないことだと自分では考えています。
なお、どのように説明すればいいのか難しいので、とりあえず現時点で辿り着いた私の考えを書いてみます。
「大切な人の死を経験すると、誰もがその痛みを理解できるようになるが、その痛みをどう解釈してその後にどのように活かすかは、結局のところその人次第である。そしてそれは本人の性格に大きく依存するものであるため、人が変わるかどうかも結局は本人の性格次第である。」
したがって、たとえ死別を経験したとしても、基本的には経験値が増えるだけで、おおもとの部分、すなわち性格が自動的に変わるということは稀なのだろうということです。
私は、死別を経験したことで「自動的に」こういった変化が起きたような感覚でいましたし、おそらく他人もそうだろうと考えていました。
残念なことに、この点が決定的に間違っていたようです。
ちなみに、このように考え始めたことで、死別を経験して優しくなる人間や卑屈になる人間がいること、さらには攻撃的な人間がいることや「何も変わっていないのでは?」と感じる人間がいることなどにも納得がいくようになりました。
死別という事実を受け止めるのがその人自身である以上、本人の性格がすべてを支配してしまうということは至極当然のことなのかもしれません。
ですが、私はそれに気付いていませんでした。
それは、私が自分の経験などをもとに考えていたということ、そして、そこには「すべての人がそうであってほしい」という願望も多少混ざっていた気がすること、これらが原因だったように思います。
とにもかくにも、現実は違いました。
したがって、現時点での私の考えには次の一文も付け加えておかなければいけません。
「死別を経験しても基本的に人は何も変わらない、変わる人間は変わろうとする人間だけである」
変わろうとするということ、これは死別から何かプラスのことを学ぼうとする姿勢に通じるものです。一見マイナスだらけに感じる死別とはいえ、それを少しでもプラスに考えようとした時、そこから何かが動き出すような気がします。
私は、これからもそういった人間でありたいと思います。
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