今回は、クリスマスを目前にして心がざわついている方のために、この時期をやり過ごす私なりの考え方を紹介したいと思います。
少しでもお役に立てることを願っています。
さて、クリスマスです。
大切な人を亡くされた方にとってはなかなか厳しい季節と言えるでしょう。
街のイルミネーション、どこからともなく聴こえてくるクリスマスソング、そしてにぎやかなクリスマスセール…
死別経験者の心境とは裏腹に、すべてがキラキラしているのがこの時期です。
しかし、死別経験者にもかかわらず、私はこの時期が大好きです。
正確に言うと、交際相手との死別を経験してから、クリスマスが好きになりました。
どういうことか説明する前に、先に以下の2点をお伝えしておきます。
- 死別直後からクリスマスを好きになったということ
- キリスト教徒ではないということ
内容どおりなのですが、死別後、ある程度の期間が経過してから好きになったというわけではありません。
また、クリスマスに対する宗教的な思い入れなども一切ありません。
なぜこのようなことをわざわざお伝えするかというと、これから説明する考え方はいつでも誰でも取り入れられると言いたかったからです。
死別から期間が経過している必要もなければ、キリスト教徒である必要もありません。
その気にさえなれば、読んだ直後から取り入れることができるものです。
そのことを覚えておいてください。
人に求めてもなにも変わらない
では説明していきたいと思いますが、さっそく質問です。
「大切な人を亡くしたあなたのために、日本中の人間がクリスマスを自粛する。こんなことは想像できますか?」
これはもう想像できないでしょう。
想像できないどころか、決してこんなことはないでしょうし、あってもいけません。
そもそも、クリスマスを祝いたい人間が多い以上、クリスマスはきちんと祝われるべきものです。
となると、
- みんながクリスマスを祝わなければいいのに…
- なんで日本人なのにクリスマスなんか祝ってんだよ…
こんなことは、考えるだけ無駄です。
クリスマスは毎年やって来ますし、多くの日本人が必ずクリスマスを祝います。
そしてこの習慣は、あなたがいくら文句を言ったところで絶対に変わりませんし、われわれが生きているうちに変わることもないでしょう。
ですから、こんなことを考えるのはやめてしまいましょう。
少し考えればわかると思いますが、他人に何かを求める考え方にはキリがありませんし、今回のように絶対に変わらないであろうことであれば、求めることにすら意味がありません。
「他人は自分の思いどおりにはならない」
どうにもならないということを認めてさえしまえば、クリスマスを祝う人間がいることにストレスを感じることはなくなることでしょう。
もう少し続けましょう。
一見すると異なる内容に感じるかもしれませんが、実は次も似たようなものです。
- 他人の幸せを妬む
- 他人の不幸を願う
非常に残念なこのような行為も、幸せでなくなってくれと望み、不幸になってくれと望むという点において、やはり他人に何かを求める行為と言えるでしょう。
当然、先ほどと同様に明らかに無意味なことですし、そもそも他人から削り取った幸せは自分のところに来ないわけですから、それを願うのはただの性格の悪い人間です。
というわけで、他人に何かを求めたり、思いどおりにならないことに期待する考え方はやめたほうがいいでしょう。
とは言っても、これだけでクリスマスを好きになることは無理です。
では、どう考えればクリスマスが好きになるのでしょうか…?
幸せを噛みしめる
みなさんも経験なさっているのでおわかりいただけると思いますが、死別した時はいろいろな感情が入り混じるものです。
「なぜ病気に気付かなかったのだろう」
「なぜ助けてあげられなかったのだろう」
私の場合は交際相手を病気で亡くしたものですから、こういった感情を中心に、いろいろな感情が混在していました。
そういった感情の中には、以下のようなものもあります。
「なぜあの時もっと一緒にいなかったんだろう」
「1分1秒でも長く一緒にいたかった」
一見するとありふれた感情であり、後悔と呼んでもいいものです。
おそらく、私以外の多くの方も、このような感情を抱き後悔したことがあることでしょう。
では、ここでも質問です。
「あなたは、こういった後悔を他の人にもしてもらいたいですか?」
私は、絶対にして欲しくありません。
だから、カップルを見ると思うんです。
「いつ何があるかわからないから、できるだけ相手を大切にしたほうがいいよ」って…
「死んだら一緒にいられなくなるから、1分1秒でも長く一緒にいたほうがいいよ」って…
もちろん、本人たちに伝えたらポカンとされるでしょうし、もしかしたら「十分幸せだけど…」という返事が返ってくるかもしれません。
ただ、たとえそうであったとしても、自分があの時気付いていなかった幸せに少しでも気付いてもらいたいし、その幸せを少しでも噛みしめてもらいたいと思うことに変わりはありません。
「幸せは、失ってみて初めてそのありがたみに気付く」という言葉があります。
これは、悲しいことに本当のことです。
死別する前も私は自分を幸せだと思っていましたが、死別してみると、あの時は世界一幸せだったんだなと気付かされました。
「その世界一の幸せをみんなは今手にしているわけだから、相手が生きているうちに少しでもその幸せを噛みしめてほしい」
「そして、1分1秒でも長く一緒にいてほしい」
カップルを見るたびに、私はそう思います。
こんな考え方をしていると、幸せが目に見えるんじゃないかと思えるほどキラキラしたこの時期は、本当に素晴らしい季節だと思えます。
大切な人を亡くされた方は、当時の自分が世界一の幸せ者であったことに気付いたはずです。
そういった方だからこそ、なおさら人の幸せを願える人間になってもらいたいものですし、そう思いながら街を歩けば、苦手だったクリスマスもきっと素敵な季節に思えてくるでしょう。
最後に
今回紹介した考え方は、すべての人に受け入れられるかはわかりません。
ただ、今年じゃなくてもいいんです。
来年でも、再来年でも…
もしクリスマスを憂鬱に感じる時があったら、ぜひ思い出してみてください。
- 他人に何かを求めない
- 他人に幸せを噛みしめてもらいたいと願う
たったこれだけです。