亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

外野の騒ぎはいったい…

 

 

あの絶対王者PL学園に熱狂し、プラスチックバットにゴムボールという小学生ならではの野球を楽しんでいた人間にとって、多少の差こそあれ夏の甲子園というのは毎年気になってしまう存在と言えます。

 

そのせいもあって、今年も目に飛び込んでくるニュースからなんとなく情報は得ていました。

そんな中で行われた本日の決勝戦。
結果はご存知のとおり。

 

それにしても、試合が終わってからの外野のまぁ騒がしいこと…

 

  • オール慶應の大声援が相手チームに圧をかけていたように感じるが、高校生相手にあれはどうなのか
  • マスコミのせいで、関係者以外もノリで応援に加わってしてしまっているのではないか
  • とても残念で優勝しても素直に賞賛できない

 

こういった意見がネットやSNSのあちこちで見受けられ、なんとこれらに賛同する方々も多数いらっしゃる状態。

 

大前提として、意見や感想は人それぞれのものです。
ですから、私からは「なるほど、あなたはそう感じるんですね」としか言えませんが、とはいえ、冷静に考えるまでもなくこれってとてもおかしな意見としか思えないのはきっと気のせいでもないはず…

 

 

ここからは適当に書いていきますが、各学校には野球の実力そのもの以外にもさまざまな部分に差があるはずです。
運営母体や規模、歴史、施設、部員や生徒数、ブラスバンドの有無やその実力、愛校心…

こういった差は、私たちが普段気にも留めていないだけであって常に存在しており、地方大会から甲子園優勝までの道のりを考えてみても必ずどこかに影響しています。

 

仮に地方大会の早い段階でいわゆる弱小校と甲子園常連の強豪校が戦ったとしたら、状況はどうなるでしょうか?
たぶん、今回の決勝と似たり寄ったりの状況になるはずです。
全校生徒の応援もなく鳴り物もないような地味な応援の弱小校と、チアやブラスバンドを携えた上に、地元の期待まで味方につけた強豪校。
そう考えると、今回の甲子園の決勝も似たような状況として置き換えられますよね。
強豪校同士ではありましたけど…

 

つまり、地方大会とかなら誰も疑問にすら感じない状況が、今回はステージを変えて目の前に現れただけなのかと。
甲子園の決勝という舞台ということもあり、それがたまたま目立っただけだと思います。

 

そもそも、たとえばサッカーのワールドカップで日本代表のサポーターの数が相手チームより圧倒的に多かったとして、それを非難する人なんて存在するのでしょうか?
逆に、味方チームのサポーターの数が少ないばかりに、相手チームのサポーターの多さにケチをつける人だっているのでしょうか?

 

ここまでくるともはや単なる負け惜しみですからね。

 

ちなみに、自分が知らなかった世界を見た時、それに対して何か嫌味のような発言をする人間って結構います。
知らなかったことを認めたくないその気持ちはわからなくもありませんが、それはそれで自身の器の小ささを自ら外部に発信してしまっている状態なので、基本的にはやめておいたほうがいいと思いますし、どちらかというと恥ずかしいと思ったほうがいいかもしれません。

 

そんな感じで、いい加減もうあれが優勝校の結束力であることを認めましょう。
ざっくり言うなら、「自分の知らなかった世界を知ることができた」ぐらいでいいんじゃないでしょうか。

 

なお、本当はたぶんこれ以外の心情(妬みや嫉み)も大いに影響した上での外野の騒ぎだと思いますが、それを言い出したら面倒ですし心の底から馬鹿らしいのでここまでにしておきます。

 

 

※もしあの大声援にマナー違反の部分があったというのであれば、それはそれで今後の甲子園の運営に役立てていけばいいと思っています。

 

 

 

 

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