私自身の話で恐縮ですが、いつの頃からか死というものに対しての抵抗がなくなってきたような気がします。
とはいっても、それは死ぬことが怖くないといった意味ではなく、死をそれほど悲しいものとして捉えなくなってきたということです。
誤解しないで頂きたいのですが、死は悲しくないと言いたいわけではありません。
自分自身の経験からも、死が悲しいものであることはよくわかっているつもりです。
ただ、死の「悲しい面」にばかり注目するのをやめることで、死を悲しむ気持ちがかなり軽減されたように感じており、それを表現したのが冒頭の文章ということになります。
つまり、死を悲しいものと感じるのは、悲しい側面に注目しているからだということです。
そして、その部分に注目し続ける限り、当然のごとく死はいつまでも悲しいものであり続けます。
これは少し考えてみればわかる話だと思います。
というのも、大切な人を亡くした時、多くの人間が考えるのはおそらく次のようなことでしょう。
- もう二度と会えない
- もう二度と話せない
- もう二度とぬくもりを感じることができない
- もう二度と笑った顔を見ることができない
これはまさに、「死」がもたらす悲しい側面です。
ですから、この側面に注目してしまっている以上、悲しみを感じるのは当然です。
しかし、もしこういった部分に注目せずに済んだり、死がもたらす「別の側面」に注目することができたなら、多少なりとも悲しみの総量は減るのではないでしょうか。
それはたとえば以下のような側面です。
- もうこれ以上大切な人が苦しまなくていい
- 大切な人がもう痛い思いをしなくていい
- 大切な人が人生を全うできた
- 大切な人が遺されずに済んだ
「いい面」というほどではありませんが、これらは決して悪いことではないはずです。
そして、こういった面にまで思考が及べば、悲しいことばかり考えるよりは悲しみが減ることでしょう。
少なくとも、現在の私はそういう状態にあるように思います。
大切な人の「死」に直面した時、その「死」の良い面を考える人はなかなかいません。
ですから、当時の私も含めてほとんどの人間が悲しむことになります。
ただ、悲しい面ばかりを考えていてもどうしようもありませんし、そういった姿勢はなにより自分を苦しめ続けます。
そうであるなら、「悲しい面に注目してしまっているから悲しい」ということを認識し、時には少し違った角度から考えてもいいのかもしれません。
マイナス面に注目し続けるか、無理やりにでもプラス面を見出すか…
少しの違いかもしれませんが、実は大きな違いなのかもしれません。
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