亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

開き直った先にあるもの

 

「自分の人生は自分のもの」

これは私の好きな言葉のひとつです。
そして、私に力を与えてくれる言葉でもあります。
よくよく考えてみると当たり前のことを言っているに過ぎないのですが、なぜでしょうか、この言葉には大いなる力を感じます。

なお、たとえこんな素敵な言葉であっても、実際は良くも悪くも使われます。
というのも、結局「自分のやりたいようにやる」という内容とほぼ同義だからです。
良く言えば「自分の人生を自らの手で切り開いていく」といった意味合いが含まれることになるのでしょうし、悪く言えば「他人のことなんてどうでもいい、自分の好き勝手にやる」といった意味合いが含まれることになるのでしょう。

では、この言葉は実際どういった場面で使われるのでしょうか…?

いろいろあると思いますが、基本的には「開き直る」必要がある場面で使われることが多いように思います。


というわけで、少し前置きが長くなりましたが、今回のテーマは「開き直り」です。

おそらく、みなさんの人生においても開き直る瞬間が今まで何度もあったと思います。ちなみに、その時々で自分がどういった結論を出したか覚えていますか?

私は正直ほとんど覚えていません。
しかし、自分自身にとって本当に重要だったものに関しては今でもしっかりと覚えています。


重要なのはどの方向に開き直るのかということです。

想像してみればわかると思いますが、開き直りが必要とされるのは自分自身が多少なりともピンチの時であり、少なからず追い込まれている時です。
この時、選択肢は2つあります。

「やるしかない」と開きなおるのか、「やらなくていい」と開き直るのか。


その時の状況にもよりますから、どちらがいいのかは一概には言えません。それに、長い時間が経ってからようやく答えが出るようなケースもあるでしょうから、簡単に結論づけることは難しいでしょう。加えて、その結論を出すのは開き直った本人であるわけですから、その答えについて本人以外がどうこう言えるものではありません。
すべての責任は本人自身が背負うものであり、それはまさに「自分の人生は自分のもの」という言葉どおりとも言えるでしょう。

ただ、いずれにしてもひとつ気にしておくべきことがあるように思います。

それは、開き直った先が自分にとって苦しいのか楽なのかということです。
普通は「苦しいけどやるしかない」と開き直るわけですから、開き直った先は自分にとって多少なりとも苦しいはずです。それに対して、「苦しいのはイヤだ、このままでいい」と開き直った場合、その先は自分にとって楽なはずです。

前者は、自分をコントロール出来ていると言っていいでしょう。また、人生を前向きに生きようとする気概を感じます。
それに対して後者は、「開き直った」というもっともらしい理由をつけて、ただ単に今までと変わらない自分の居心地のいい、楽なことを選んだに過ぎません。そしてこういったケースにおいて、「自分の人生は自分のもの」という言葉は最高の言い訳となりますので、このことは覚えておいたほうがいいのかもしれません。
さらに、イヤなことを避けたがる自分自身を正当化するための言葉としても使えますので、注意した方がいいような気がします。

開き直って出した答え、これはきっと自分自身を映す鏡なのでしょう。
当時は、私も楽なほうにばかり開き直っていた気がします。 

 

 

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