亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

どうせ死ねないのなら

 

何度となく書いている気がしますが、私はあと一歩で後追いをするところでした。
ただ、臆病な気持ちが急に芽を出したため、最後の一歩がどうにも踏み出せず、結果として今こうして生きています。

この時をきっかけに立ち直ったというわけではないのですが、この時に考え方が少し変わったことを覚えています。

 

 

「死にたい」から「死ねない」へ

私はそれまで、ハッキリ言っていつでも死ねると思っていました。

大切な人がいない以上この世に未練はまったくありませんでしたし、未練がない以上タイミングを考える必要も当然ありません。ですから、あとはもう完全に私の気分次第だったわけです。それに、そもそも「死ねば大切な人に会える」と考えているわけですから、仮に多少の未練があったとしても、そんなものは何の歯止めにもならなかったことでしょう。
また、非常にバカげた話ではありますが、わざわざ「完全自殺マニュアル」まで読んで自殺の方法をきちんと決めていたことも、「いつでも死ねる」と思い込んだ理由のひとつなのかもしれません。

ただ、実際はそんな簡単なものではありませんでした。
自殺というのは、私が思っていたよりもはるかに難しいものです…


本来であれば、自殺できなかったというのは喜ばしいことなのでしょう。ただ、死ぬことを望んでいる当時の私にとっては何も嬉しいことではありませんでした。それどころか非常にショックを受けました。なにせ、死ぬことを本当に楽しみにしていましたし、本気で「いつでも死ねる」と考えていましたから。

なにより、「いつでも死ねる」という感覚は、当時の荒みきった私の心の中において唯一の安心材料であり、なおかつ唯一の拠り所でした。
それが完全に吹っ飛んだわけですから、ショックを受けるなというほうが無理な話だったのかもしれません。

というわけで、この一連の行為によって「自分は死ぬことさえできない」ということに気付かされてしまったわけですが、この時まさにすべての希望を失ったような気がします。大切な人に会いにもいけないし、この苦しみから逃れることもできない、私に現実が容赦なく突きつけられた瞬間です。ただでさえ絶望している人間がさらに絶望させられたわけですから、そのショックはやはり計り知れなかった気がします。
おそらく、途方に暮れるという表現がこれほどまでにピッタリくることは、これから先の私の人生においてはないでしょう。

ただ、ここで開き直ることができたのも事実です。
いや、開き直らざるを得なかったというのが正確なところでしょう。
そして今振り返ってみると、ここが私にとってのターニングポイントのひとつだった気がします。


当たり前ですが、「死ねない」なら生きるしかありません。
それまでずっと「死にたい」と言って逃げてきたようなことも、そうは言っていられなくなりますし、ことあるごとに「死にたい」と言って悲劇のヒロインを演じることだってもうできません。
どうにかして生きていくしかないわけです。

この「生きていかなければいけないと考え始めたこと」は、その後の私にとってかなり効果を持ったように思います。
ちなみに、本当ならこのまま完全に立ち直るのがベストだったのでしょうけど、大切な人を亡くした悲しみなどは変わらずに存在しているわけですから、その点に関してはそれほど簡単にはいきませんでした。
ただ、「人生を大切にしよう」とまではいかなくても、人生を捨てることは完全に選択肢から消えました。

確か、完全自殺マニュアルには「いつでも死ねると考えれば苦しい日常も気楽に生きていける」といった趣旨があったように記憶していますが、皮肉なことに私のケースは正反対です。「死ねない」とわかったからこそ、生きていこうと思えました。


人によって考え方はさまざまです。
当時の私のように死にたいと思っている方も中にはたくさんいるでしょう。ただ、死にたいという気持ちはマイナスの空気以外何も生み出しません。もしどうせ死ねないと考えているのなら、いっそ「死」を選択肢からはずしてしまってはいかがでしょうか。

私自身、「死ぬ」という選択肢が消えてからかなり行動が変わりましたし、それが少なからず立ち直りに結びついた気がします。

どうせ死ねないのなら、少しでも前を向いたほうがいいことは間違いありません。
簡単にはいかないことかもしれませんが、時には開き直りだって必要なのでしょう。いずれにしても、すべての方がいつか前を向けることを願っています。

 

 

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