亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

本気で「会える」と思っていますか?

 

いつまでも悲しみに暮れている人間と私を比較した場合、当然ながらいくつかの差があると思います。その中のひとつとして何となく私が感じているのは、「大切な人に会えると本気で考えているかどうか」ということです。

というのも、いつまでも悲しみに暮れていて「早く死んで故人に会いにいきたい」と言っている人間は、口では「会いにいく」と言いながら、心のどこかでは「もう二度と会えない」と思っているような印象を受けるからです。
だからこそ悲しみが止まらないのでしょうし、胸が張り裂けるほど苦しいのかもしれません。だからこそ会いに行きたいと余計に考え、無理にでも会いに行こうとするのかもしれません。

当時の自分を振り返ってみても、「死んだら会える」と言いながら、心のどこかには「もう二度と会えない」という気持ちがやはり存在していた気がします。

とはいっても、もしかしたら単なる私の勘違いかもしれません。
いつまでも悲しみに暮れている方々は「生きている限りもう会えない」ということだけをきちんと切り分けて悲しんでいるのかもしれません。
でなければ、いつか会えるのにもかかわらずそれほどまでに悲しむ理由がわかりません。
そういった方々の悲痛な叫びを聞くと、どうしても「もう二度と会えない」と思っているように聞こえるんです。

確かに、「もう二度と会えない」と考えると気分が滅入ります。
これは当然です。
いつまでも故人のことばかり考え続けてしまうことも、故人との思い出に浸り続けようとすることも、そう考えているなら自然なことなのかもしれません。

ただ、もし「死後に大切な人に会える」と考えているのなら状況は変わるはずです。
「会うこと」を焦る必要なんてそれほどありませんし、人生を粗末にする必要だってありません。いつか必ず会えると考えるわけですから、悲しむ必要だって当然減ることでしょう。


みなさんもご存じのとおり、「死後」については誰も知りません。
どんなに著名な人間であろうが、どんな宗教であろうが、その答えは誰も知りません。
自分自身がどう考えるかです。

そうであるなら、「死後の世界が存在していつか必ず故人に再会できる」と本気で考えている人間は、人生をしっかり生きてみてもいいのではないでしょうか。
死んだらどうせ会えると考えているのであれば、人生をしっかり生きるという選択をしてもいいはずです。
なにより、それはきっと故人が望んでいることでしょうし、おそらく心の奥底では自分自身も望んでいることでしょう。

私は、言うまでもありませんが大切な人と必ず再会できると信じております。
ですから、今の時点で早く会いに行きたいと思うことはありませんし、無理して会いに行きたいとも思いません。
どうせ会えるんだから、まずは残された人生をしっかりと生きようと思うだけです。
そして、それが故人のためでもあると考えているため、この考えが変わることは今後もないでしょう。


故人に会えると本気で考えているのであれば、あとは残された人生をどう生きるかだけです。

どうせ会えるんだから生きる。
どうせ生きるんだから前向きに生きる。

こんな風に考えてみてもいいのではないでしょうか。

 

 

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