亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

大切な人以外を好きになるということ

 

「大切な人を亡くしたあと、新たに誰かを好きになること」

 

これについては人によっていろいろと考え方があると思いますが、私は素晴らしいことだと思っています。
大切な人に対する愛情がなくなったわけでもなければ、その愛情が薄いというわけでもありません。当然のことながら浮気でもありませんし、大切な人から乗り換えるといったことでもありません。

私の中では、大切な人というのはもうどこかすべてを超越したところにいるような感覚でいます。したがって、大切な人への想いと新たな人への想いというのは同時に存在し得るものです。
ですから、「大切な人を愛しているか?」と尋ねられれば「愛している」と答えますし、「新たな人を愛しているか?」と尋ねられればやはり「愛している」と答えることができるわけです。
同じ「愛する」という言葉ではありますが、愛情の種類が違うとでも言えばいいんでしょうか…
言葉では上手く説明できませんが、そんな感じです。
ただ、これはあくまでも私の場合です。
というわけで、今回は過去の私についても触れながら書いてみたいと思います。

 

 


今までにも何度となく触れてきましたが、私はかなり長い間死別を引きずっていました。ただ、一見すると何の変化もなさそうに感じるそういった期間においても、実はいろいろと心境の変化があるものです。そのひとつに「人を愛すること」があります。


大切な人を亡くしたあと、私は「一生ひとりで生きていく」と自分自身に誓いました。大切な人を亡くして悲しみに暮れている時ですし、大切な人のことで頭がいっぱいなわけですから、これはごくごく自然な感情だと思います。

それに、「自分だけが幸せになってはいけない、ひとりで生きていくことこそ大切な人への愛の証」と思っていましたので、「ひとりで生きていく」ことに疑問を感じることは一切ありませんでしたし、その心境がのちに変化するなんてことも一切想像できませんでした。

そしてなにより、もう誰も好きになることはないと思っていました。


それにしても、この「一人で生きていく」と誓ってしまうのはなぜなのでしょうかね?
今考えると、自分のことながら笑ってしまいます。
「そんなこと決める必要ある?」
「いったい何のために、そして誰のために誓ってるの?」
「そもそも誓うことに意味はあるの?」
当時の自分がいたら尋ねてみたいぐらいです。

明確な理由はよくわかりませんが、たぶん意固地になっていたんでしょう。
大切な人を亡くしていろいろとイヤになっていたのも原因だと思います。

本来であれば、わざわざこんなことを決める必要はありませんし、誓う必要だってありません。その先に何があるかは誰もわからないわけですから。
でも、「いつまでも大切な人を想ってひとりでいる自分でありたい」と思ってしまい、自分のその後の生き方を決めてしまったんですね。
これは単純に、悲劇のヒロインの一歩手前なんだと思います。
「苦しいところにわざわざ自分を置き、ひとりで生きなければいけないという鎧を着せて、そんな中でも生きている自分…」
そんな自分に酔っていたんだと思います。
今考えると非常にバカげていますが、当時はまだまだ子供でしたので、私はそんな私を許してあげます。


話を戻しますが、死別からしばらくすると悲しみはだいぶ落ち着いてきます。

そして、ある時ふと気付いたんです。
気になる人がいることに。

みなさんも経験があるでしょうからわかると思いますが、人を好きになる時は勝手に好きになっているものです。ですから、「ひとりで生きていく」と誓った私の思いをまったく無視するかのように、そんな瞬間が訪れました。


これは悩みました。

果たして何を悩むのか…?

それは、自分の誓いと並び立たないことと、世間からの目です。
「ひとりで生きていくって決めたのに…」
「もう大切な人のことを忘れたのかと思われたらイヤだな…」
こんな悩みです。
正直な話、本当にくだらない悩みですし、考えれば考えるほどどうでもいいことですが、当時は多少なりとも悩んでいたわけですから仕方ありません。

考えれば当たり前のことですが、自分の誓いについては「自分で自分を許せるかどうか」だけの話です。
なぜなら、ひとりで生きていくと決めたのは自分なわけですから。
大切な人にお願いされたわけでもなければ、世間からお願いされたわけでもありません。
自分が自己満足のために決めたルールであり、それを勝手に小難しく考えていただけです。

もちろん、人によっては「大切な人に悪い」と考える人もいるでしょう。
でも、大切な人が許してくれないと思いますか?
許すどころか、応援してくれるに決まってます。

それに、もし仮に許してもらえないと考えるなら、その後の人生はどうしましょうか?
一生、自分の気持ちに嘘をついたままひとりで生きていくんですか?
それこそナンセンスですし、目も当てられません。
まさに自己満足の世界だと思います。


ちなみに、悩んだ末に私は自分を許しました。
つまり、新たな人を好きになった自分を認めたということです。
そしてそれ以降も、少しずつ自分に課していたルールを取り払っていきました。


今はそれで本当に良かったと思っています。


誤解のないように言っておきますが、好きな人を見つけたほうがいいと言っているわけではありません。
私が言いたいのは、もしそういった心境の変化が自分に起こった時、可能性を自ら潰したり、自分に嘘をついたまま生きることは誰も望んでいないということです。

これから先、どういった心境の変化があるかはわかりません。
現時点ではまったく想像できないような変化だって起こり得ます。
私のように、絶対そんな風にはならないだろうと思っていた人間になっていたということだってあるんです。

自分で自分の人生を決めつける必要なんてありません。
さしたる意味もない苦しい道を行こうとしているのであればなおさらです。

こんなことを認識しておくだけでも、いつか訪れる分岐点で「自分に素直な選択」ができるのではないでしょうか。
そうあることを願っています。

 

 

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