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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

他人にお願いするということ

 

今回は「お願い」についてです。

最近は多くの方がブログを読んでくださっているせいか、賛成の意見に混ざって「書かないでくれ的なお願い」が多少なりとも私のもとへ届きます。
これは誹謗中傷とは少し異なります。
というのも、私を傷つけようとするためのコメントではなく、あくまでも「ブログを書くのをやめてほしい」というお願いなわけですから。

というわけで、「読まなきゃいいだけでは」という元も子もない話はさておき、今回はこのお願いについて私の思うところを少しばかり書いてみたいと思います。

 

 

 

「書かないでくれ的なお願い」

実は、私はこういった「お願い」をされるたびに疑問に感じていることがあります。

こういった方々は、もし「お願いですから書かせてください」と言われたら、どんな返事をするのでしょうか?

やっぱり「いや、とにかくやめてくれ」と言うのでしょうか…?

では、もし「立ち直りたいと考えている人間のお手伝いをしたいので、お願いですから書かせてください」と言われたら、その時は果たしてどのような言葉を返してくれるのでしょうか?

先に言ってしまうと、どんな返答であろうと私は気になりませんし、立ち直りたいと考えている人間のお手伝いをすることをやめるつもりも一切ありません。
ただ、こういった方が実際にどのような回答をするのだろうということには単純に興味があります。

まさか、「立ち直りたいと考える人間の手伝いなんかする必要ない」とも言えないでしょうし、「手伝ってはいけない」とも言えないでしょう。考えれば考えるほどどんな返事を選択するのか興味が湧いてしまいます。

とは言っても、理不尽な方はたぶん困らないと思います。ひたすらに自分の意見だけを押し付ければいいわけですから。私が何を言おうが、「知らぬ存ぜぬ、俺の言う通りにしろ」で押し通せばいいだけです。
返答に困るのは、おそらく普段であればいろいろなことに配慮できているであろう大人な方です。

「返答に困る」

つまり、そういうことなんです。

人に何かを求めることが悪いと言っているのではありません。
ただ、他人に何かを求める以上、ある程度のことは想定しておく必要があると思いますし、そういったことができないと、ただ単に自分が可愛いだけの人間になってしまいます。

ましてや、他人に変化を求めるというのは非常に難しいことです。
そんなことをするぐらいなら、自分が変わるほうがよっぽど簡単です。特に、自分が変わることで解決できるような問題であればなおさらです。

上の例であれば、読まないという選択をすること、これが自分を変える行動ということになります。それを、「書かれると読んでしまうからおまえが書かないでくれ」といったお願いは、さすがに虫の良すぎる話と言わざるを得ません。

こういった姿勢は、もしかしたら死別に対する姿勢とも共通する点があるのかもしれません。
「他人や世の中のせいにするのか、自分が変わることで前へ向こうとするのか」
先ほども触れたとおり、他人や世の中はよっぽどのことがないと変わりません。
ですから、自分を変えることによって前へ進もうとすることが近道でしょうし、そういった方を私は応援したいと思います。
 

 

 

 

少しだけ話は変わりますが、「書かないでくれ」的なお願いの中には「傷つくから」という理由のものが多少混ざっていますので、この点についても少しだけ触れておきます。

「傷つく」という言葉は非常にインパクトの強い言葉です。
ですから、その言葉を聞いた人間はついついその発言者の目線で考えがちになってしまいます。また、一見するとその言葉を使う側の人間にしか成り立たないように思える言葉でもあります。

しかし、よく考えてみてもらいたいのは、おそらくその裏側ではまったく逆のことで傷ついている人間がいるということです。

たとえば、私の意見に傷つく方もいらっしゃるでしょうけど、「私の意見を否定する意見」に傷つく人間もいるということです。

ちなみに、立ち直りたいと考えている人間の足を引っ張るかのような風潮には私も少なからず傷ついていますので、その角度から考えれば、私も傷ついた側の人間になり得るのかもしれません。
とはいっても、私は、自分が傷つくからという理由で誰かに何かをしてもらおうと思う人間ではありませんので、私のことは気にしないでください。
例として書いただけです。

結局、白黒つかないような問題に関しては必ず賛成派と反対派がいますし、そのことによって傷つく人間も必ず存在します。
すべての人間を傷つけないというのはほぼ不可能でしょうし、そういったことを追い求めた結果として出てくる意見は、もはや意見とは言えないほどのものとなることでしょう。
それに、自分にとって不快なものを目にするたびに「傷ついた」と表現する方も中にはいるでしょうから、時と場合によっては「傷つく」といったことを気にしない姿勢も必要なのかもしれません。

だからと言って、積極的に傷つけていいと言っているわけではありませんので、その点は誤解のないようにお願いします。

この世の中には多くの人間がいるわけですから、どんな選択をするにしても誰かしら傷ついているということが言いたかっただけです。

  

 

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