死別、それは人生の中でもっとも悲しい出来事です。
ですから、残された人間は人生の中でもっとも深い悲しみに暮れていると言えます。
当然、周囲の人間は本人を傷つけないように気を遣いますし、言葉にも態度にも気をつけることになります。それはまるで腫れ物にさわるかのようであり、死別経験者を神聖視していると言っても過言ではありません。
これが最強の言い訳、最強の理由を生み出します。
みなさんは、死別を何かの言い訳や理由に使ったことはありませんか?
たとえば、死別を理由に会社を休んだり、死別を理由に自分に対して気を遣うことを求めたり…
また、他人にきつく当たってしまった時の言い訳として使ったり、行事に参加しなかったことの言い訳として使ったり…
死別、それは最強の言い訳であり最強の理由です。
なぜなら、これを持ち出されてしまうと、周囲の人間は何も言えなくなるからです。特に、周囲の人間が心優しくて思いやりに溢れているような人間であれば、なおさらのことです。
また、死別経験者に気を遣えないような人間はその人間性さえ疑われかねないという風潮もありますから、そういうことまで考えると余計に何も言えなくなります。
何も言われない。
これはすなわち、死別が言い訳や理由として通用するということを意味します。
もちろん時期によって多少の差はあります。死別直後であれば周囲の人間もその言い訳や理由をすんなりと受け入れてくれますが、時間が経過するにつれてそういうわけにもいかなくなってきます。周囲から見れば「まだそんなこと言ってるの?」といったところでしょうから、これも自然なことです。
しかし、それでもやっぱり「死別」です。
これほどまでに重大な内容を持ち出されている以上、それに対して何かを言うことはやはりなかなか難しいものです。となると、結果としてその言い訳や理由は受け入れられることになります。
このように、時期によって通用する度合いは多少異なるものの、それでも最後には通用してしましまいます。
これが死別が「最強の言い訳であり最強の理由」たる所以です。
では、言い訳や理由として「死別」を使うのは悪いことなのでしょうか?
状況にもよりますが、基本的には悪いことだと私は考えています。
なぜそう考えるかというと、死別は誰にもどうしようもできないことですし、この先もその事実が変わることはないからです。こういったことを言い訳や理由に使ってしまうと、先のない話となってしまうだけでなく、一種の思考停止状態になってしまいます。ですから、基本的には言い訳や理由として使うべきではないと考えています。
なお、状況によるというのはどういうことか。
これは、死別を言い訳や理由として使っても許される「ある一定の期間」があるということです。その「ある一定期間」というのは死別直後からの一定期間であり、言い訳や理由を周囲の人間にすんなりと受け入れてもらえる期間です。この期間であれば、いろいろなことを死別のせいにしても許されるはずだと考えています。
もっとも、これはあくまでも私個人の意見ですので、あしからず。
最後になりますが、死別は最強の言い訳であり最強の理由です。
だからこそ、その使い方、使う時期、使う場面には気をつけたいものですし、かりに使う場合であっても、自分がそれを使っているという自覚を持っていたいものです。
ちなみに、自分が前を向けないことの言い訳として使うこと、それがもっともまずい使い方だと私は思います。
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