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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

それでもやっぱり1位がいいですか?

 

死別経験者が悲しみを抱えていることに間違いはありません。

 

しかし、自分のことを「誰よりも悲しみを抱えた人間」としてマイナスに表現したり、また、「誰よりも悲しみを知る人間」としてプラスに表現したりする人間がいるのはなぜなのでしょうか?

 

確かに、切り口の問題と言ってしまえばそれまでです。どの切り口で考えるかによって表現の仕方が変わるのは当然のことですから。

ただ、私にはどうもそれだけではないように思えます。

 

どの状況においても1位になりたがっているだけ。

 

そんな風に思えるんです。

 

悲しみを抱える人間がたくさんいる中で、自分が誰よりも悲しみを抱えている人間でありたい。そして、誰よりも悲しみを知っている人間でありたい。

 

こういった気持が透けて見えるんです。

 

このような人間は、自分のことを特別な存在と考えたい人間であり、特別でないと気が済まない人間と言ってもいいのかもしれません。ですから、こういった人間が1位になりたがるのは、なにも死別に限った話ではないのかもしれません。

 

しかし、こういった人間にとって死別がこれ以上ない武器となることも間違いありません。

 

人は多かれ少なかれ、自分を特別な人間だと思いたい願望や、特別扱いをされたい願望を持っているものです。しかし、現実社会において特別扱いされるということはなかなか難しいことでもあります。人より優れた部分や秀でたものがない限り、特別な存在として認めてもらえることはないわけですから。

 

ところが、そんな人間にもチャンスが訪れます。人よりも特別な存在になれるチャンスです。

 

それが死別です。

 

考えてもみてください、以下の発言は誰に対しても成り立ってしまいます。

「自分は誰よりも悲しんでいる」

「自分は誰よりも悲しみを知っている」

 

なぜこれらの発言が誰に対しても通用してしまうかというと、悲しみは比べることができないというだけでなく、比べてはいけないと考えられているからです。したがって、上の発言に対して他人から反論されることは通常考えられません。また、もし反論めいたものが飛んできたとしても、「悲しみは人それぞれだから」と言ってしまえば終わりです。

 

ものすごく簡単に言ってしまうと、悲しみに優劣をつけたがる人間にとって、死別の悲しみは言ったもん勝ちなんです。そしてそうであるがゆえ、自分自身を常に1位に位置付けることもできてしまうのです。

 

このように、死別の悲しみに関しては誰でも1位になれてしまいます。だからこそ、1位になりたがる人間はこういった場面で前へ前へと出てくるのでしょう。

 

なお、おわかりのとおり、こういった人間は他人よりも上位に立ちたがります。そして、「あなたは死別経験者の気持ちをわかっていない」だとか、「私は死別経験者の気持ちが誰よりもわかる」といったことまで平気で口にすることがあります。

 

百歩譲ってその人間が1位だったとしても、同率1位には数え切れないほど多くの死別経験者がいるはずです。そのことをいつか理解してもらいたいものです。

 

 

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