亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

思うままに

 

 

今回は私の偲び方について

 

 

私には大切な人のお墓がありませんし、かといって手元に遺骨があるというわけでもないため、亡き人を偲ぶ時は完全に「自分が思うまま」にするようにしています。
このことは、「私がつい先日の命日をどう過ごしたのか」ということからもたぶんおわかり頂けると思います。
ちなみに、私が死別した際の経緯や状況、さらにお墓や遺骨がない理由などについては、おそらく以前の記事にあると思いますので、気になる方はそちらをどうぞ。

 

 

さてさて、では仮にお墓や遺骨があったとしたらどうなのでしょうか?

 

 

う~ん、特に変わらないでしょうね。
たとえそういったものがすべて揃っていたとしても、「自分が思うまま」という部分を変えるつもりはありませんので…
第一、もともと私にはそういったものすべてを揃えたいという気がさらさらないので、そういう状況自体があり得ないんですけどね。

 

 

といったわけで、今回はそういったものに対する私の考え方をさらっと紹介してみます。
あまり参考にはならないかもしれませんが、中にはあれこれ考え込んでらっしゃる方もいるかもしれませんので、そういった方々のヒントにでもなればということで。

 

 

ちなみに、以前にも多少似た感じの記事を書いているかもしれませんが、正直に言うと自分でもはっきりと覚えておらず、今となってはそれを確認すること自体も面倒なので、そういった点については許してください。
それに、死別ブログをお読みになる方も少しずつ入れ替わっているでしょうから、たとえ以前と内容がかぶっているような記事を書いてしまったとしても、実は大した問題ではない気もしますし(笑)

 

 

さて、では私の考え方ですが、根底にあるのは本当に単純な考え方です。

 

「全部いらない」

 

 こんな感じです。
いえ、このままだとちょっと語弊があるかもしれませんのでもう少し丁寧に書きますか。

 

「自分が必要だと思うもの以外は全部いらない」

 

これですね。
つまり、自分で考えた上で不要だと感じたなら、たとえそれが社会においての通念だろうが慣例だろうがやはり不要であることに変わりはなく、特に気にもする必要がないということです。

 

 

ちなみに、なぜ「必要なものだけを用意すればいい」という書き方をせずに逆説的な表現をしたかというと、あまりにも多くのものが遺された人間に押し付けられているような気がするからです。
つまり、「いらない」ということを意識してもらいたかったというわけです。

 

 

たとえばお墓。
ああいう風にしようと決めたのはあくまでも過去の人々であって、特に「火葬が義務付けられた現代」においては、こういったものを盲目的に受け入れたり継承する必要はまったくないのかなと。
もちろん、作りたいならそれはそれで好きにすればいいでしょう。
ただ、「その行為が自分や大切な人にとってどういう意味を持つのか」、「果たしてそれが二人にとってベストなのか」といったことなどについては一旦考えたほうがいいのかなと思います。
だって、それを考えないとあまりにももったいないので…
ちなみに、もったいないというのは金額の話ではありませんよ。
「もしかするとベストではない選択かもしれないから」という意味です。

 

・両手で収まる程度の遺骨に、果たしてあんな大きなスペースが必要なのか?
・もし遺骨が大切だというのであれば、なぜ縁もゆかりもない土地のましてや土の中に埋めてしまうのか?

 

ちなみに、こういったことをしっかりと考えさえすれば、最終的にどういう結論を出すにしてもきっと周囲の人間の賛同まで得られるのかなと思います。
大事なのは、「大切な人と向き合う本人自身がどうしたいか、どうしてあげたいか」ということ。

 

 

あとは、宗教関連のモノやコトもそうでしょうね。
ご存知のとおり、普段は縁遠い生活を許容してくれているのにもかかわらず、人が死ぬとここぞとばかりに「こういう風にしないと浮かばれませんよ」的にしゃしゃり出てくるのがこういったもの。
ある意味お葬式だってそうでしょうし、お坊さんや仏壇や仏具の類はもちろんそうですね。
ついでに言うと、これがなぜなのかは理解に苦しみますが、まるで「単なるお金儲けでしょ?」とばかりに多額のお金が発生するところまでがお約束(笑)
いずれにしても、こういったことに共通して言えるのは、全部昔の人が考えたということ。
つまり、自分以外の人間が考えたことなわけです。
さらに、自分ではないばかりでなく、「あろうことか大切な人が生きたこの時代のことすら知らない遥か昔の人間」なわけです。
そういった方々が考えた「正しいと思われる風」のやり方…
そう考えると、それが今の自分にとって本当に必要なのかどうかは少なくとも検証に値するでしょうし、その上で意味があると思えないのであればやはりいらないのかなと…
そもそも、誰かが死んだからといって普段の生活にまったく役立ってないものが急に必要になったり、それが私たちを救ってくれたりだなんて、どうも都合が良すぎる気がするんですよね…
まぁ間違いなく都合よくできているんですけど(笑)

 

 

なお、こんなことを言ってると「そうは言っても現実はなかなかそんな風にはいかないんだよね…」などとおっしゃる方も出てくるとは思いますが、私としては「そう思いこんじゃってるところまで含めて正しい風のやり方に洗脳されちゃってる」気がします…

 

 

ただ、誤解はしないでもらいたいのですが、これはあくまでも私の意見であり、私自身が自分の思うようにする場合はこうなるというだけの話です。
ですので、別にお墓をお持ちになっている方を非難しているわけでもありませんし、宗教を重視している方を責めているわけでもありません。
みんな自分のしたいようにすればいいんです。
言いたいのは、「みんながしているから」とか「そうしなきゃダメみたいだから」とか、くれぐれもこんなくだらない理由で「大事な瞬間」と「大事な決断」を左右されないでほしいということ…
それだけです。

 

 

最後に…
こういった考え方の人間もいるということが、「死別後のいろいろなことを負担に感じている方々」の一助にでもなればいいなと思ってます。
なんてことはありません、大切なのはきっと「気持ち」だけです。

 

 

 

 

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