亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

思い出補正

 

「思い出補正」とは - 過去の記憶、思い出を美化したり、幾年もたって悪いところのみを 忘れて良い記憶のみ残ること。

 

 

人間の脳の記憶の仕組みからすると、誰もが過去の出来事に対して何らかの「思い出補正」をしているということは明らかなのですが、みなさんはいかがでしょうか?

 

 

私自身はというと、結構いい感じに補正してしまっているような気がします(笑)
なにせ、昔のこととなるとほぼ無条件で楽しかったと思えるぐらいですから…

 

 

とはいっても、死別に関しては別です。

 

 

と言いたいところなんですが、私が気付いていないだけで、ここにも「思い出補正」はかかっているはずです。

 

 

いいえ、本当は気付いてます。
ただ、それが「思い出補正」によるものなのか、それとも「物事をできる限りポジティブにとらえようと努めている私の考え方のせい」なのかがわかっていないだけです。
それに、こんなことを言い出すと少なくとも死別ブログ界隈では頭がおかしいと思われるだろうということも、この発言にブレーキをかけていたような気がします。

 

 

そう、私は、いつの頃からか死別をいい経験だったと思えるようになっています。
そして今日改めて考えてみても、やっぱりそう感じます。

 

 

先ほども書いたように、こう考えるようになった原因は定かではありません。
死にたくなるほどつらかった記憶が少しずつ薄れているからなのかもしれませんし、「起きてしまったことの悪い面ばかり考えていても何ひとついいことはないので、できる限りいい面に目を向けよう」と考えるようにしているからかもしれません。

 

まぁ実際のところはこういったものが複雑に絡んでいるのでしょうし、もしかするとこういった現象をまとめて「時薬」と言うのかもしれません。

 

 

いずれにしても、私が死別をいい経験だったと思えるようになっていることだけは確かです。

 

 

もっとも、「いい経験だったと言うなら誰もが経験すべきなのか?」といった話になれば、「絶対に経験すべきではない」と私は答えると思います。
というのも、「死のう」と思うほどの苦しい経験であったことは間違いありませんし、それでなくとも死別という経験においては「誰かが必ず亡くなっている」わけですから。
そう考えると、やはり自ら望んでするような経験ではないと思います。

 


とはいえ、結局は誰もがいつか経験することなので、いくら「経験すべきでない」とキッパリ言い切ってみたところで、それもそれで何の意味もありませんけどね…

 

 

 

さて、こんな感じで「思い出補正」について少し触れましたが、「思い出補正」には気を付けたほうが良い部分もあるため、その点について軽く書いておきます。

 

 

私が先ほど挙げた例は、死別という出来事自体を思い出補正してしまっているケースと言えるのかもしれませんが、気を付けたほうがいいのは、故人に対して思い出補正をしてしまっているケースかなと思います。

 

 

「亡くなった人間には勝てない」といった話を聞いたことありませんか?
あれです。

 

 

おそらくみなさんも心当たりがあると思いますが、いざ亡くなってしまうと、それまでイヤで仕方なかった部分さえ愛しく感じたりするものです。
キライだった部分も、しばらくするとすべてが輝いて見え始めたりします。
こんな風に、故人への想いというものはいつの間にか過去のイヤなことまですべて洗い流していきます。

 

そうなると、私たちの頭に最後に残るのは「いい想い出ばかりを兼ね備えたもはや完璧と言ってもいい人間」です。
限りなく神に近い存在と言ってもいいかもしれません。

 

 

言うまでもありませんが、今後この完璧なイメージが崩れることは絶対にありません。
相手が亡くなっている以上、このイメージに傷がつくような出来事は絶対に起こり得ませんし、別れや離婚の原因になるような気持ちのすれ違いだって起こり得ません。
喧嘩もなければ、百年の恋も冷めてしまうような無様な姿を見せられることだってやっぱりありません。
大切な人は、「死別による時間の停止」と「思い出補正」によってますます美化されていくばかりです。

 

 

この現象は一見すると悪いことではなさそうですよね。
でも、新たな一歩を踏み出そうというケースにおいては実はなかなかやっかいだったりします。
それどころか、これが原因で次の一歩を踏み出せなかったり、踏み出す気にならなかったりする場合だってあるはずです。
これが、故人に必要以上に執着してしまってる状態です。
ついでに言えば、出会った人を常に故人と比較してしまうような状態でもあります。

 

 

こんな状態になると、誰もが逆立ちしたって勝てません。
なぜなら、頭の中の「神」みたいな存在と比較されてしまうわけですから。
それに、人によっては「新たな出会いを故人に申し訳なく感じる」という種類の感情だって存在するでしょうから、より勝ち目はありません。

 

 

ちなみに、死別直後であればこういったことも大した問題にはなりません。
否が応でも頭の中は故人でいっぱいですし、それをコントロールできる人間なんてほとんどいないでしょうから…


ただ、ようやく心も落ち着いて「そろそろ一歩を踏み出してみよう」と思ったタイミングだとするなら、こういった「思い出補正の存在」をきちんと意識して、それをきちんと割り引いた上で相手を見るように心がける必要はあるのではないでしょうか。

 

 

これは物事を見るときだって同じです。
過去の出来事の多くは、基本的に「思い出補正」の影響下にあります。
また、死別以前の出来事であればその度合いはさらに大きいはずです。
そんな状況で現実に目を向けるためには、こういった特殊な事情の存在をしっかり意識する必要があります。

 

 

もし気付かずにいれば、なかなか現実に目を向けられないばかりか、「あの頃は良かった」と言いながら日々を過ごすことになります。

 

 

忘れてはいけません。
私たちが生きているのは「今」であり、それこそが「現実」だということを…

 

 

 

 

にほんブログ村 恋愛ブログ 恋人との死別へ
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
いつもありがとうございます。クリックして頂けると、励みになります!