われわれは少数派なので、幸せな生活を謳歌する多数派からは相手にされないし、この先も肩身の狭い思いをして生きていくしかない。
だって、社会は幸せな人間のためにあるから…
よく聞きますよね、こういった発言。
個人的にはかなり苦手な発言ですが、まぁここまではいいとしましょう。
このように言うということは、「幸せな人々にも自分たちのつらい気持ちを理解してもらいたい」と考えているのでしょうし、「可能であれば自分たちも幸せに、もしくは多数派になって肩身の狭い思いをせずに済むようになりたい」とも考えているのでしょうから…
ただ、その割には「経験した者にしかわからない」と言ってみたり、周囲の幸せそうな人間(多数派?)に対してイラついてみたり、「一人で生きていくしかない」と決めつけてみたり…
自ら進んで少数派になりたがろうとするケースがやたら目につく気がするのですが、いったいそれはなぜなのでしょうか?
冒頭のスタンスからすると、多数派に歩み寄ってほしいといった内容に聞こえますし、それを望んでいるんじゃなかったんですかね…?
なのに、実際はそんな気サラサラないじゃん…
「世の中に相手にされていない」と感じると悪態をついて、世の中の人間が歩み寄ろうとしたらそれを拒絶して…
こんな都合のいいことがいつまでも許されるはずもありません。
少なくとも、気付かないうちに人はそっと離れていきます。
第一、こういった言動は本当に死別が原因なのでしょうか?
少なくとも私は、まったく関係ないと思っています。
自分という存在を認めてもらいたいと考えていた人間が、ここがチャンスとばかりに騒いでいるのがこの状況なだけであって、今まで感じていたフラストレーションを死別を契機に爆発させているだけです。
こんな「かまってちゃん」も、年齢によってはさすがに笑えません…
死別後というのは、多くのストレスにさらされるせいかその人が持っている人間性というものがことさらに表に現れやすいような気がします。
かと言って、なにも「それを急に変えろ」とは言いません。
長年に渡って形成されてきたものを急に変えるなんて無理な話でしょうから。
しかし、もしその人間性に問題があると自覚しているのであれば、それを抑えようとする努力ぐらいはきっと必要なんだと思います。
なぜなら、死別前だろうが後だろうが、他の人と一緒に生きていかなければならないことに変わりはないわけですから。
こういったことを無視していると、人生は確実に悪い方向に回っていくような気がします。
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