亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

それは死別が契機なだけ

 

 

われわれは少数派なので、幸せな生活を謳歌する多数派からは相手にされないし、この先も肩身の狭い思いをして生きていくしかない。
だって、社会は幸せな人間のためにあるから…

 

 

よく聞きますよね、こういった発言。

 

 

個人的にはかなり苦手な発言ですが、まぁここまではいいとしましょう。
このように言うということは、「幸せな人々にも自分たちのつらい気持ちを理解してもらいたい」と考えているのでしょうし、「可能であれば自分たちも幸せに、もしくは多数派になって肩身の狭い思いをせずに済むようになりたい」とも考えているのでしょうから…

 

 

ただ、そう言う割には、経験した者にしかわからないと言ってみたり、周囲の幸せそうな人間(多数派?)に対してイラついてみたり、一人で生きていくしかないと決めつけてみたり…
自ら進んで少数派になりたがろうとするケースがやたら目につくのはなぜなのでしょうか?

 

 

冒頭のスタンスからすると、お互いに歩み寄らなければいけないし、そもそもそれを望んでいるんじゃなかったでしたっけ…?

 

 

なのに、これではそんな気ゼロじゃん…

 

 

世の中に相手にされていないと感じると悪態をついて、逆に世の中の人間が歩み寄ろうとしたらそれを拒絶して…
こんな都合のいいことがいつまでも許されるはずもありません。
少なくとも、人は気付かないうちにそっと離れていきます。

 

 

それに、果たしてこれは本当に死別が原因なのでしょうか?

 


いいえ、まったく関係ない気がします。

 

 

自分という存在を認めてもらいたいと考えていた人間が、ここがチャンスとばかりに騒いでいるだけの話であり、今まで感じていたフラストレーションを、死別を契機に爆発させているだけです。
かまってちゃんも、年齢を考えなくなるとさすがに笑えません…

 

 

 

死別後というのは、多くのストレスにさらされるせいか、その人が持っている人間性というのがことさらに表に出てきやすいような気がします。
もちろん、それを急に変えろとは言いません。
長年に渡って形成されてきたものを急に変えるなんて土台無理な話でしょうから。
しかし、もしその人間性に問題があると自覚するのであれば、それを抑えようとする努力ぐらいはきっと必要なのでしょう。
というのも、死別前だろうが後だろうが、他の人と一緒に生きていかなければならないことに変わりはないわけですから。

 

 

こういったことを無視していると、人生は確実に悪い方向に回っていくような気がします。

 

 

 

 

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