亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

風物詩に感じること

 

 

長距離走が大嫌いで、学校のマラソン大会が苦痛で仕方なかった私であっても、「年始の風物詩は?」と言われれば、やっぱり「箱根駅伝」と答えます。

 

 

正直、自分でも不思議です。
しかし、マラソンに見向きもしない私でも、箱根駅伝だけは大好きなんです。
とはいっても、特定の選手や大学に注目したり、最初から最後まで逃さずに観たりといったほどの好き具合ではありません。
箱根駅伝という行事を全体的に楽しませてもらっている感じです。
熱狂的ではないと言ったほうがわかりやすいでしょうか…

 

 

さて、そんな箱根駅伝ですが、みなさんの中には母校が出場しているという方もきっといらっしゃるんでしょうね。
その場合、応援の仕方や気持ちの入り方も変わってくるでしょうから、おそらくより一層楽しめるんでしょう、うらやましい限りです。
もっとも、タスキが途絶えたときや、順位が下がったときのショックもその分大きいのでしょうけど…

 

 

それにしても、何なのでしょうね、あのスポーツ…
「一本のタスキを全員が力を合わせてつなぐ」
たぶん、これだけなら他のスポーツにも似たような状況はあるでしょう。
しかし駅伝の場合、それぞれの区間においてはたった一人がすべてを背負わなければいけません。
そこでは、ボールを打ち合うような明らかな対戦相手がいる競技とも異なり、ただただ自分の限界との戦いが展開されるわけです。
かといって、限界を超えることは許されません。
なぜなら、それは「途中棄権」や「ペースダウンによる繰り上げスタート」によってタスキが途絶えることを意味しますから。
そう、中継所には、自分を信じて待ってくれている仲間がいるわけです。

 

 

年齢を重ねたせいなのかもしれません。
このスポーツの持つこういったストーリー性が、どうにもこうにも心に響くんですよね…
必死に練習して、晴れ舞台でチームのために一生懸命走っているあの姿を見ていると、それだけで胸がいっぱいになります。

 

 

ですから、タスキが途絶えたり棄権したりしようものなら、もう…

 

 

誤解のないように言っておきますが、別に棄権や繰り上げスタート自体はどうでもいいんです。
単なる結果ですし、選手生命を考えるなら当然止めるべきですから。
ただ、棄権せざるを得なかった選手の気持ちや、自分のせいで繰り上げスタートになってしまったと感じているであろう選手の気持ちを想像してしまうと…
※幸いなことに今回は棄権はなかったようです。

 

 

 

話は少し変わりますが、ふと思ったんですけど、私たちもきっと何かをつないでるんですよね…?
過去から未来に向かって、人類の一員として、何かを…
そう考えると、私たちもある意味ではランナーなのでしょうし、私たちがつなぐタスキとは、きっと私たち自身が「生きて成し遂げたこと」なんでしょう。

 

 

であるなら、少なくとも私は、もう少し頑張って生きなきゃいけないかもしれません…

 

 

 

 

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