亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

別にあなたの大切な人の死を祝っているわけではない

 

 

「あけましておめでとう」と言うぐらいですから、「無事に一年を過ごすことができて年が明けること(新年を迎えられること)」というのは元来おめでたいこととされてきました。
まぁそうですよね、この意味で考える限りこれはおめでたいことです。
と同時に、新年を迎えることができた多くの人に当てはまることでもあります。

 

 

では、この言葉が当てはまらない人間がいるとしたらそれは誰か?

 

 

当然、去年亡くなった方々ということになります。
また、もしその範囲をもう少し広めにとるのであれば、そのご遺族や関係者といったところまで含まれることになるでしょう。

 

 

ちなみに、「喪に服す」というのがありますが、これは「不幸があってから一定の期間(現代では一般的に1年)は故人を悼みましょう」というものです。
したがって、こちらは「年明け」とは直接の関係がありません。
ただし、喪中はお祝いごとを避けるのが原則ですので、期間中に訪れる年の切り替わり、すなわち年明けのお祝いに関しても自粛することが一般的です。

 

 

ここまでお読みになった方はお気付きになったかもしれませんが、そう、去年ご不幸があった方以外は、普通に「あけましておめでとう」なんですよね。
なぜなら、無事に一年を過ごすことができて新年を迎えることができたわけですから。

 

 

とはいっても、1年以上経過しているからといって悲しみがなくなるわけでもありませんから、いくら死別が去年の出来事ではなかったとしても、「あけましておめでとう」に違和感を感じる死別経験者は少なくないでしょう。
それどころか、もしかするとそういった方々のほうが多いのかもしれません。

 

 

しかし、そうは言っても、やっぱり世の中の人々は冒頭で説明したような基準と認識で行動します。
つまり「あけましておめでとう」は止まりません。
ではどうするべきなのでしょうか…?

 

 

大切なのは、その祝いごとの対象、すなわちそれが何を祝っているのかということをきちんと理解しておくことです。
冒頭の例で言えば、「あけましておめでとう」の対象は、「無事に一年を過ごすことができたこと」であり、「無事に新年を迎えられたこと」です。
聞いてわかるように、1年以上前に死別した方々の「大切な人の死」とは無関係です。
ですから、世の中はあなたの大切な人の死を祝っているわけではありません。
むろん、悲しみに沈むあなたに当てつけるために祝っているわけでもありません。

 

 

たったこれだけの当たり前のことですが、こういったことを理解できれば、「あけましておめでとう」を不快に感じることは少なくなるでしょう。
また、それに対して文句を言うのが少々見当違いであること、もしくは「ただの八つ当たり」だということだって理解できるはずです。

 

 

年明けに限らず、日本には多くの祝日や祝いごとがあります。
だからといって滅入る必要はありません。
それぞれにおいて人々が何を祝っているかということをちゃんと理解できていれば、受けるストレスは大幅に減らすことができるはずです。
そのためにはもちろん知識が必要ですが、それにしたって多くは必要ありません。
自分にとって都合がいい解釈ができる程度、それぐらいの知識で充分です。

 

 

何度か言っているような気がしますが、他人をどうこうするのは非常に難しいものです。
ですから、「あけましておめでとう」はなくなりません。
同様に、祝日や祝いごとがなくなることだってありません。
であるなら、自分のことは自分で守っていきましょう。
今回の場合は、「祝いごとの対象をきちんと理解する」、これがそのための手段というわけです。

 

 

なお、それでもまだ人々の行動が不快に感じるようであれば、そんな時は思い出してください。
死別以前にあなたがとっていた行動がどんなものであったかを。
そして、ついでにこの言葉も思い出してください。

 

「たぶんそれ死別関係ないよね…」

 

 

 

 

にほんブログ村 恋愛ブログ 恋人との死別へ
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
いつもありがとうございます。クリックして頂けると、励みになります!