亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

気にする必要は…たぶんゼロ

 

 

 

お正月といえば伝統行事がつきものですが、私の中で一番印象に残っている行事は、小学校時代に毎年校庭でやっていた「どんど焼き」です。
ちなみに、小学校以来あまり耳にすることもなかったせいか、私はてっきり大阪限定の行事なのかと思っていました。
でも全然違うんですね。
調べたところによると、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事だそうです。
というわけで、私は完全に勘違いしていました(笑)

 

なお、ご存知なかったという方はGoogle先生でどうぞ。
写真もたくさん出てきますので、どんな行事なのかはすぐにわかると思います。

 

 

さて、こういった伝統行事ですが、その多くが宗教的背景から生まれたものなのだろうということぐらいはみなさんも理解しているはずです。
しかし、もう時代は2018年ですから、当然のごとくそういった行事の宗教的意味合いは薄れてきています。
では、果たしてそれはいいことなのでしょうか、それとも悪いことなのでしょうか…?

 

 

こんなところまで書いておいて言うのもあれなんですが、個人的にはどうでもいいことです。
なぜなら、「意味合いが薄れているという現実」が実際に存在しているということは、もはやその意味合いはこの時代に必要とされていないということですから。
それをわざわざ「いい悪い」などと考えても、そこに大して意味はないでしょう。

 

 

あれ、だいぶ前置きが長くなってしまいましたね…
私がなぜこんなことをつらつらと書いていたかというと、ただ単につい最近衝動買いした本を紹介したかったからです。

 

 

それがこちらの本です。

 

宗教で得する人、損する人 ( ML新書)

宗教で得する人、損する人 ( ML新書)

 

 

 

ちなみに、紹介しておいてこんなことを書くのは気が引けますが、決して読みやすい本ではありません。
しかし、いろいろなことを教えてくれる本ではありますので、そういった意味では多少なりとも価値があるように感じます。

 

 

というわけで、この本の中から私が気になったものをいくつか紹介したいと思います。
以下は、この本の冒頭にある「この本のエッセンス」と題された早見表的な部分からの抜粋です。

 

 

  • 釈迦の教えには、死後の世界の教えはありません。
  • 戒名は、1万数千円のPCソフトで僧侶が付け、数十万で売っています。
  • お墓は、仏教ではなく中国の祖霊信仰がルーツです。位牌は、儒教の祖霊信仰がルーツです。
  • 戒名は日本独自の制度で、インドにも中国にもありません。当然、釈迦が考えた制度でもありません。
  • 「戒名」は仏弟子の証というのは「嘘」です。戒名は、江戸時代以降に普及した制度です。
  • 「戒名」に決まったルールは、実はありません。かなり、適当です。
  • インドでは、遺体は火葬してガンジス川に流します。ですから、インド仏教では墓地そのものが存在しません。
  • 「墓相」のルーツは、道教等の中国の土着信仰です。
  • 「仏像」も釈迦の死後、数百年たってから作られはじめたのです。

 

林雄介(2017)「宗教で得する人、損する人」マガジンランド

 

 

 

ざっとこんな感じでしょうか。
もちろん他の宗教に関するものもあるのですが、ここは日本ということで、仏教に関するものに限定して紹介してみました。

 

 

以前も書いたように、私はもともと宗教をまったく気にしていない人間なのですが、ここに並んでいる内容が、さらにその気持ちを加速させてくれます(笑)

 

 

たまにいますよね。
やたら仏教をもとにして話をしようとする人。
そう、お前は釈迦なのか的な人間(笑)
あれ、押し付けられる側ってかなり苦痛なんですけど、本人たちはそれに気付いてるんですかね…?
まぁおそらく気付いてないでしょうね。
でないと、あんなに嬉々として素人が説法を繰り返すことはないでしょうから。
なんて言えばいいんでしょうか、自分が知った仏教の知識を披露したくて仕方ないといった感じで、頼んでもないのにここぞとばかりに話を始めますので、なかなか厳しい…
第一、誰かが昔作り出した空想上の話を我が物顔で語っているわけですから、踊らされている感満載で若干イタイ…(笑)
私からのお願いがあるとすれば、「頼むからお寺で僧侶相手にやっててくれ」といったところです。

 

 

なお、誤解のないように書いておきますが、私は宗教に興味がないだけで、必要がないとまでは思っていません。
しかし、それを他人に押し付けるということになると、当然疑問を感じてしまいます。
特に、死別直後は判断力が鈍っているものですから、そういった人間に忍び寄るかのような姿勢は好きではありません。
ベストなのは、いろいろと知識を与え、たくさんの選択肢を示してあげた上で本人に選ばせることです。
そういった意味では、「普通ならこのようにするものなんだよ」とか「昔からこうやって」とか「仏教的には」とか「それでは成仏できない」とか、こんなのは卑怯極まりないと思いますし、ホント笑止千万といった感じです。
忘れてはいけません、時は今2018年です。

 

 

それに、もしそんな大層な教えなのであれば、仏教関連の宗教家たちには、人類を救済するという名目で「見返りもなく無償で」それを提供してほしいものです。
この時代なら十分に可能ですよね、ネットがありますから。
もしくは、百歩譲って「本」でも構いません。
「それさえ読めば誰もが救われる簡単な仏教本」
そんなのがあれば素敵ですね。

 

 

今回なぜこんなことを書いたかというと、年末年始の煩わしい宗教行事に苦しめられている死別経験者もいらっしゃるかなと思ったからです。
少しでもそういった方々のお役に立てることを願っています。

 

 

 

 

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