今日は「死別ブログにおけるジレンマ」とも言うべき内容です。
これをどう読んでどう受け止めてどう行動するかはみなさん次第です。
なお、以下の文章中の「死別ブログ」とは、基本的に「悲しみや苦しみを吐き出すことを目的とした一般的な死別ブログ」を指すものとします。
時の流れを考えると当たり前のことですが、死別ブログの場合は、ブログを書き始める時がもっとも死別から浅い時です。
したがって、悲しみや苦しみを吐き出すことを目的としたいわゆる「一般的な死別ブログ」を書くような方にとってみれば、「書き始めた瞬間」こそが「もっともつらく、もっともその想いを吐き出したい時」だと言えるでしょう。
これは何も不思議なことではありませんし、逆に言えば、そういう想いが募ったからこそブログを始めたという言い方もできるはずです。
しかし、これもまた当然のことなのですが、「では、もっともそのブログの存在が認知されていない時期はいつか?」といったことを考えた場合、その答えもやっぱりこの「書き始めた瞬間」ということになります。
これも考えてみるまでもありませんね。
誰かがそっと書き始めたブログの存在なんて、誰も知らないのが普通です。
さて、一見するとごくごく当たり前の事実が2つ並んだだけのようにも思えますが、この2つの事実をつなぎ合わせると、実はそこに悲しい事実が存在していることに気付かされます。
その事実とは、ブログを書き始めた人間が、もっとも誰かに話を聞いてもらいたくて、もっとも寄り添ってもらいたくて、もっとも励ましてもらいたいと考えているその時に、実は周囲の人間は本人からもっとも離れたところにいるという事実です。
しかし悲しいかな、こればかりはそう簡単にどうこうできる問題ではありません。
となるとやはり、たとえ死別ブログとはいえ、他ジャンルのブログと十把一絡げに「すぐに読んでもらえるほど甘くないから地道にがんばれ」などと言って片づけるしかないのでしょうか…?
それもあまりにさみしい気がします。
それに、死別ブログの向こうに透けて見える「今もっとも苦しんでいるであろう人」のことを考えると、あまりにも酷であるようにも感じます。
こういったことを考えると、同じ死別経験者としてはなんとかしてあげたいと思うばかりです。
いえ、たとえなんとかできなかったとしても、少なくともそんな状態の中でブログを書こうとしたその心意気にだけは応えてあげたいものです。
欲を言っていいのであれば、もし仮に死別ブログ界隈に「助け合い」という目に見えない力が存在しているのだとしたら、こういった部分にこそその偉大な力が作用してほしいと思いますし、また、作用するべきなんだろうと思います。
とまぁこういった理由から、今回はこのような記事を書きました。
私がこんな記事を書いたことにより、少しでもそういった気持ちでブログを読んだり、探したり、応援したりする方が増えることを願っています。
これが、私なりの応え方かもしれません。
ただ、こんなことを書いてはみたものの、みなさんだってまだまだ苦しみのまっただ中でしょうから、なかなか他人のことまでは考えられないかもしれませんね。
まぁ余裕があればということで…
※
ちなみに、日本ブログ村の死別カテゴリーのページの右側に、「新着ブログサイト」という部分がありますので、ここを見れば、最近になって開始されたブログがわかるようになっています。
とはいっても、日本ブログ村に参加しているブログに限られますが…
なお、この場所には最近になってブログ村に引っ越してきただけのブログや、私のように再登録しただけのブログなども掲載されていますので、すべてが純粋に「始めたばかりのブログ」ではありません。
その点は理解しておいてください。
あと、気が向いた場合は、「恋人との死別」カテゴリーのご確認もお願いします。
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