最近は動画ばかり貼っていたので、今回は我慢して文字だけでいきます(笑)
「ペンは剣よりも強し」
The pen is mighter than the sword(英語)
Calamus Gladio Fortior(ラテン語)
有名な言葉ですから、この言葉をご存知の方はおそらく多いのではないでしょうか。
ざっくり言えば、「言論の力は武力に勝る」ということを意味する言葉です。
とはいっても、現代社会においてはごくごく当たり前といえる内容ですから、この言葉を意識するようなケースもほとんどないでしょうし、それがゆえに、この言葉に大した重みを感じない方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、人類の歴史を振り返ってみると、ペンの力が初めて剣を上回ったターニングポイントとも言えるべき瞬間が必ずどこかに存在するわけで、そういったことなどに思いを馳せると、この言葉のありがたみや重みというのもまた違ってくるような気がします。
ちなみに、この言葉の「もともとの意味」は、現在の解釈とは少々異なるものだったようです。
というわけで、その点について少し触れておきます。
調べたところによると、この言葉は19世紀に書かれた戯曲の一節に登場するセリフから生まれたようです。
場面としては、体制に反旗を翻した者たちに対して「お前らなんて、サインひとつでいつでも拘束したり死刑にできるからな」と聖職者が脅している状況だとのこと。
つまり、多くの人間が思い描いているような「武力を持たない弱い立場の人間による言葉」ではなく、体制側にいた聖職者による言葉だということです。
もっとも、たとえ権力の保護下にいなかったとしても、実際に剣を持つわけにもいかないのが聖職者ですから、どっちにしろその手にはペンを持つしかなかったような気もしますが。
とまぁこれがこの言葉のもともとの意味なのですが、長年の月日を経て解釈が変わり、現在の「言論の力は武力に勝る」という意味に落ち着いたというわけです。
さて、ではなぜ私がこんな言葉を取り上げたのかというと、大した理由はありません。
ふと目にした部屋の時計に、ラテン語でこの言葉が記されていたからです。
そして思い出したんです。
「あ、最近どこかでこの言葉が当てはまる光景を見た気がする」って…
ただし、かなりスケールの小さい話ですから、このような歴史的な言葉を持ち出したり、それを当てはめようとしたりしていいのだろうかといった疑問はありますが…。
覚えていますよね?
すぐに剣を振り回そうとする人間が、ペンの力によって団結した人間たちに相手にされることもなくこの場を立ち去ったことを。
個人的には、あれはこの言葉の意味を多少なりとも感じられるような光景だった気がします。
ただ一方で、この言葉はいろんな解釈の仕方が可能な言葉でもありますから、人によっては違ったとらえ方をしているかもしれません。
したがって、あれを「集団によるペンを使った暴力」ととらえた人間だって当然いることでしょう。
現にそういったコメントは私のもとにもいくつか届きましたし。
なお、ここではどちらがどうこうと言う話をしたいわけではありませんので、この話はこれぐらいにしておきます。
ですが、たとえ同じ言葉であっても、人によってこのように当てはめ方が変わるわけですから、非常に興味深いものです。
もしかすると、これもまたある種「ペンの力」と言えるのかもしれません。
いずれにしても、ブログやらなんやらで文章を書くのであれば、この「ペンの力」というのはしっかりと意識しておかなければならないのでしょう。
もちろん、だからといって自分の意見を抑える必要はまったくありません。
念のためその点も付け加えたところで、今日は終わりにしたいと思います。
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