亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

謝らなければいけないこと

 

 

 

たぶん、私には謝らなければいけないことがあります。
というわけで、今回はそのことについて書きます。

 

 

ただ、これは死別ブログ界隈で起きた先日の件に関わることですので、当事者が去った以上いつまでもその話をしたくないと考えている私にとってみれば、いささか抵抗がある内容でもあります。
しかし、触れずに謝ることもできませんから、この件に関して私が記事を書くのはこれが最後ということにして、話を進めたいと思います。

 

 

 

 

 

 

どなたかが書かれていましたよね?
「みんな笑っていますよ」と…

 

 

それに対して、「これは笑いごとなんかじゃない」といった旨のコメントを何人かの方がされていたように記憶しています。
それだけでなく、当事者であるブログ主さん自身も、ひどく不愉快に感じたとおっしゃっていました。

 

 

ただ、私は違います。
私は、騒ぎを見て笑っていた人間です。
そして謝りたいと考えてるのは、そのことについてです。

 

 

とその前に、「なぜ笑って見ていたのか」について説明させてください。

 

 

理由は2つあります。

 

ひとつは、私が以前に同様の経験をしていたからというもの。
そしてもうひとつは、私が今回の当事者であるブログ主さんについてあまり深く考えておらず、決定的なことを忘れていたからというものです。

 

 

では、前者から説明します。

 

 

私はもう一方の当事者、つまり難癖をつけた方と面識こそありませんが、彼がどういった人間性なのか、どういった行動をしがちなのかといったことに関しては少なからず理解しているつもりです。
ちなみに、それは今年の春先、つまり彼の難癖の対象が「私」だった時に学んだことで、その後の彼の言動からも読み取れることでした。

 

 

そういった立場からすると、今回の件にしても彼のお決まりのパターンが始まっただけとしか思えませんでしたし、彼の暴言などで傷つく人間がいるとは思いもしませんでした。
そこにいる誰もが、「また例のバカみたいなのが始まったよ(笑)」程度に受け止めているはずだと考えていたのです。

 

 

言い方を変えるなら、誰しもに彼に対する「免疫」のようなものがあると考えていましたし、すべての方が「彼がそういった人間であること」を理解していると考えていました。
それゆえ、たとえそれがどんな暴言だったとしても、彼発信の言葉で傷つく人間はいないだろうと思っていたわけです。

 

 

ただ、それは私の間違いでした。

 

 

まぁ考えてみれば当然のことです。
というのも、死別ブログ界隈の人間は時の経過とともに入れ替わりますから。
彼という人間に初めて接する方もいれば、あの暴言を初めて耳にする方もいて、その中に傷つく方がいらっしゃるのは当たり前のことです。
それだけではありません。
たとえ彼の存在をすでに知っていたとしても、それを遠目に見るのと、当事者としてもしくは当事者の近辺で間近に感じるのでは大きく状況が異なるはずです。
ですから、彼がそういう人間であることを多少理解していてもなお、深く傷つけられたという方はいらっしゃったことでしょう。

 

 

そこらへんのことを、私はあまり考えていませんでした。
だからこそ、私には笑うことが出来たのです。

 

 

 

次に後者についてです。

 

 

正直な話、私は今回の件の当事者であるブログ主さんのことをそれほど存じ上げていませんでした。
ですから、今回の件の口火が切られた時に、きっかけとなった記事を含めていくつかの記事を拝読しました。
すると、すぐにひとつの結論に達しました。

 

 

話を進める前に、まずはその結論について書いておきましょうか。

 

 

私が知る限り、彼女ほど素晴らしい文章を書いている方は知りません。
彼女の書く文章からは、知性やユーモアやウィットを高い次元で併せ持っていることが容易に読み取れますし、論理的な文章はまたそれに説得力を与えています。
おそらく、内容はもちろんのこと言葉の選択にも細心の注意を払っておられることでしょうし、そういったことができるのは、ひとえに彼女自身の能力の高さと人間性なのでしょう。
したがって、お会いしたことも話したこともありませんが、どういった方であるのかはおおよそ想像がつきますし、今回の件で誰に非があるのかも明らかでした。

 

 

すみません、少しほめ過ぎたかもしれません(笑)

 

 

まぁ冗談はともかく、これほどの方ですから、彼女が彼の暴言を気にするなどとは思ってもいませんでした。
よくあるじゃないですか、「痛くも痒くもない状態」って。
まさにそんな状態だろうと考えていたんです。
なぜなら、彼女と彼とではあまりにも人間性や環境などが違い、差があり過ぎますので。

 

 

だからこそ笑って見ていましたし、笑ってみることができていたのです。
つまり、彼女はそんなことで傷つきもしないだろうし、何かを感じることすらないだろうと…

 

 

よくよく考えると、物事をこういった風にとらえていたのは、先ほども触れたとおり私には以前の経験があり、彼の人間性というものをある程度理解していたからです。
そう考えると、そのフィルターを除去しないままに彼女の心境をおもんぱかろうとしたことにはやはり大きな無理があり、それはすなわち私の至らなかった点のひとつだということです。

 

 

ただ、実はこんなことさえ大した問題ではありません。
一番の問題は、私が最も忘れてはいけないことを忘れていたということです。

 

 

それは、彼女が死別経験者であるということです。

 

 

言い訳になってしまいますが、その原因は私が勝手に彼女のイメージを作り上げていたことにあります。
彼女の文章をいくつか読んだことで、私の中には彼女は完璧だというイメージが出来上がっていました。
ですから、彼の暴言や理不尽な物言いなんて意に介することもないだろうと思っていましたし、彼のことなんて終始相手にすることもなくすべてを笑って流して、ご自身の生活をスマートに続けられるのだろうと思っていたのです。

 

 

もちろん、故人への冒涜などもまとめて受け流すのだろうと思っていました。
失礼を承知で言いますが、故人への冒涜の件も、形式的に怒った素振りをせざるを得なかっただけで、内心ではまったく相手にもしていないのでは…とさえ考えていました。
というのも、現在の私ならそうですから。

 

 

しかし、違ったんですね。
後日の記事で読みましたが、彼女は思い悩み、ふと死を考えてしまうぐらい真剣にそれを受け止めていました。

 

 

その時に気付いたんです。
私自身が大切な何かを忘れていることに。
その大切な何かこそ、彼女が愛する人と死別し、現在もなお苦しんでいるという事実です。

 

 

愛する人を亡くし、その苦しみを現在進行形で抱えてらっしゃる方がどう感じるだろうかということ。
そして、そういった状態で故人を冒涜された時、どれだけの怒りや悲しみが生まれるのかということ。
その他、そういった時期に抱えるさまざまな感情など…

 

 

こういったことを私は丸ごと忘れていましたし、考えることもできていませんでした。
なんてことはありませんね、単に「死別から立ち直った私自身の現在の心理状態」だけをもとに今回の件をとらえてしまっていたのです。

 

 

こんな具合ですから、当然笑えるはずですよね。
 

 

というわけで、以上が私が一連の事件を笑って見ていた2つの理由です。

 

 

 

物事のとらえ方は人それぞれだと考えるのであれば、今回私が私なりの受け止め方をして笑っていたこともそのうちのひとつと言えるでしょう。
したがって、その行為自体はそこまで悪いことではないのかもしれません。
それに、笑った理由を正直に伝えさえすれば、当事者である彼女もおそらく同様のことを言ってくれるでしょうし、もしかすると「まったく気にしない」とまで言ってくれるかもしれません。
しかし、私の心のどこかには、それでもやっぱり謝りたいという気持ちがありました。

 

 

それが今回の記事を書いた理由です。

 

 

「私は、あなたの気持ちを深く考えることもなく、少なくともある時点までは今回の件を笑って見ていました。本当に申し訳ありませんでした。」

 

 

以上です。

 

 

 

 

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