亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

エンディング産業について感じること

 

再びブログを書き始めると言ってからだいぶたってしまいましたね、すみません。

 

先日、東京ビッグサイトにて開催された「エンディング産業展(ENDEX)2017」に行ってきましたので、そこらへんのことと、そういったものに対する私の考え方について書いてみたいと思います。

 

ちなみに、この展示会のことはご存じない方も多いと思いますので、気になるようであれば検索してみてください。まぁざっくり言うならエンディング産業に関わる業者同士の商談を目的とした展示会です。もちろん、入場料さえ払えば一般客も入場可能です。テレビなどでも取り上げられていたので、ご覧になった方も中にはいらっしゃることでしょう。

 

葬儀、石材、花、棺桶、仏壇、手元供養品、WEBサービスなど、出展する企業はさまざまです。文字通りエンディングに関わる業者が大集結しているといった感じでしょうか。

 

個人的には去年に引き続いての訪問となったわけですが、感想から言ってしまうと特に印象に残ったものはありません。というのも、去年と比較して目新しいものがなかったように感じたからです。しかし、それぞれの商品はブラッシュアップされているはずですので、クオリティーが高まったという言い方はできるのかもしれません。

なお、私が見落としているだけで密かに革新的な商品が展示されていた可能性もありますが、まぁその辺はあくまで一個人の行動ですので見逃しは許して下さい(笑)

 

どちらにしても、当ブログで個別の商品やサービスに言及するつもりはありません。

ただなんとなく、全体に対して私がぼんやりと感じることを書いてみたいと思います。

 

 

 
ごくごく当たり前の話ですが、この産業展は業者同士の商談を目的としていますので、そこにいらっしゃるのは基本的に商売人です。会場の各ブースでは営業スマイルや営業トークが炸裂しており、真剣な表情で聞き入る来訪者の姿と相まって非常に活気があります。

 

こういった雰囲気は素晴らしいものだと思う一方で、私はいつもふと考えてしまいます。

 この展示会や商売人たちに限って言えば、すべて「人の死」というものの上に成り立っているんだなぁと…

簡単に言うなら、人の死をきっかけとする商売ということです。

誤解なさらないでもらいたいのですが、それが悪いと言っているわけではありません。ただ、そういった商売は遺族を相手に展開されるものが主であるため、少し心が痛む場面があるというだけです。

 

以前もどこかで書いた覚えがありますが、大切な人を亡くして打ちのめされているのが遺族なわけですから、本来はいろいろな面で助けてもらえる立場だと私は考えています。そう考えると、お金に関して言えば「払う」どころか逆に「もらって」もおかしくないぐらいの立場と言えるのではないでしょうか。

 

にもかかわらず、人が亡くなるたびに遺族は莫大な出費を強いられます。

葬儀、戒名、墓、墓石、供養品など…

 

これはいったいどうしたことでしょう…?

確かに、いずれも必要なものなのかもしれません。(とはいってもお墓や戒名を筆頭に大部分は不要だと思いますが)

ただ、提示されている金額などを見ると、そこに商売人たちの「旺盛な商売っ気」が見え隠れしていて、私にはどうにも抵抗があります。


 

当ブログの読者には死別経験者が多いと思いますので、皆さんであれば故人に対して何かをしてあげたいという気持ちが芽生えるという部分についてはよく理解できると思います。言うまでもありませんが、この気持ちこそが商売人たちの拠り所です。それに、何をさせるにしても「こんな質素なものでは故人に申し訳ない」と思わせればしめたものです。「人生で一度きりの出来事だし、生涯でもっとも大切な人のためなら多少の無理は仕方ない」という気持ちにさえさせてしまえばいいわけですし、その気持ちをしっかりと利用すればいいわけです。

 

このように書くと、商売人に対して悪意があるように感じるかもしれませんが、悪意はまったくありません。

なぜなら、こういったことは商売人にとって当然のことですから。

より多くのお金を稼ぐことが彼らの仕事ですし、彼らにも生活があります。

そもそも、モノを安く買って高く売る、モノを安く作って高く売るというのは、エンディング産業に関わらずどの商売にも通じる常識であって、決して責められるものではありません。

 

とはいっても、大切な人を亡くして悲しみに暮れている遺族には、やはり商売人に振り回されることなく賢く立ち回ってもらいたいというのが私の願いです。

 

では、私たちはどうすればいいのでしょうか?

 

私たちが考えるべきことは簡単です。

何をするにしても、そこに商売人が介在しているという事実をきちんと理解しておけばいいだけです。

そして、大切な人を失った悲しみが判断を狂わせる可能性が高いということを頭に叩き込んでおけばいいんです。

 

  • 豪華なお葬式を故人が喜ぶか?
  • 一等地のお墓を故人が欲しがるか?
  • 高価な墓石を故人が望んでいるか?
  • 高位の戒名でなければいけないのか?

 

こういったことを今一度考えてみてください。

そして次に、以下のことも考えてみましょう。

 

  • 豪華なお葬式は故人のためか、それとも自分自身や周囲の人間への体裁のためか
  • 一等地のお墓は故人のためか、それとも自分自身や体裁や利便性のためか
  • 高価な墓石は故人のためか、それとも自分自身や親族への体裁のためか
  • 高位の戒名は故人のためか、それとも自分自身や体裁のためか

 

このあたりはデリケートな部分ですが、突き詰めるとおそらく多くの方が自己満足のために行っているのではないでしょうか。

もちろん、その行動を非難するつもりは一切ありません。

ですが、故人のためと思いながらの行動が実は自己満足や他人の目を気にしたことによる行動だということを認識しているかどうかは大きな違いです。

それがきちんと認識できていれば、おのずとより賢い行動がとれるようになるのではないでしょうか?

 

それに、故人はたぶん「豪華なお葬式」や「一等地のお墓」や「高級な墓石」や「高位の戒名」には気づいていません。

なぜなら、亡くなっているわけですから…

誤解のないようにお願いしたいのですが、なにも死別という現実を残酷に突きつけるためにこの一文を書いたわけではありません。

自分の都合に合わせて考えてほしいという思いから書いただけです。

なぜって、死後の世界については誰もわかりませんから。

ですから、高価なモノをオススメされた時は「故人はこんなものに気づかないし、こんなものを望んでもいない」といった具合に現実的に考えればいいでしょうし、日々のお祈りなどの場面で「故人に想いを届けたい」といった非現実的なことを願う時は、「きっと故人に伝わっているはずだ」と考えればいいわけです。

 
いずれにしろ何をするにもお金が発生するわけですから、故人のためとはいえ盲目的に散財することがないように気をつけたいものです。

 

つらつらと書いてきましたが、これから先みなさんも大切な人を亡くしたり、自分自身のエンディングについて考えなければならない時がくるでしょう。

 

そういった時にはどうするべきか…

 

選択肢はたくさんあると思いますが、少なくともお金に振り回されることだけはないように願っています。そして、お金の心配をする必要がない状態で、純粋に故人との別れを惜しんだり、故人との想い出に浸ることができれば素敵だと思います。


そのためには、ご自身のエンディングに関してもある程度の取り決めをしておく必要があるのかもしれません。でなければ、お子さんなどの残された人間が「無理をして」あなたのために高価なお墓などを購入してしまうでしょうから…

最後になりますが、私自身はこういった悲しい場面やつらい場面ではお金がかかってはいけないし、そもそも大してお金がかかるはずがないと考えています。そういったこともあって、できるだけお金のかからない方法を選ぶべきだと思います。
それに、おそらく勘違いしている方も多いのかもしれませんが、故人のために使ったお金は決して故人のところへはいきません。望む望まないに関わらず、商売をしている方々の懐に入るだけです。
であるなら、故人への出費は最低限にとどめ、その先を生きていく自分自身や遺族のためにお金を使うべきでしょう。

あくまでも個人の意見ですが、こういった意見が何かの役に立つことを願っています。