亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

満たすべき条件(前回の続き)

 

前回の記事の中で、お墓には疑問に感じる点や問題となる点がいろいろとあるといったことを書きました。
今回はそれを受けての記事になるわけですが、簡単に言うなら、お墓以外の方法を考えようということです。
もう少し正確に言うなら、問題の多いお墓に代わって、お墓以上に故人を大切にする方法、お墓以上に現代人に合った方法を考えようということです。

では、まず新しい方法が満たすべき条件をいくつか挙げていきたいと思いますが、わかりやすくするために少し具体的に書いてみたいと思います。

  • 遺骨が近くにある
  • お金がかからない
  • いつでもどこでも偲ぶことができる
  • 誰でも偲ぶことができる
  • 遺族の想いを反映させることができる


とりあえずはこんなところでしょうか。
お気づきになったとは思いますが、当然のことながらお墓の問題点の裏返しの内容になっています。

さて、では少しずつ補足していきましょう。


 

遺骨が近くにある

 

これはごくごく単純な話なのですが、その前に気を付けておきたいことがあります。
それは、遺族の立場だけでなく、故人の立場でも考えるということです。

遺骨を尊重し故人と同等に扱う方が多い遺族の立場で考えるなら、大切な人の遺骨ができるだけ近くにあったほうがいいのは明白です。
中には遺骨に対して嫌悪感を持つ方もいらっしゃるようですが、それはあくまでも見ず知らずの人間の骨に対して感じることであって、大切な人の遺骨に関しては特に問題はないでしょう。それに、遺骨を加工するサービスもいろいろ存在しているため、そういったサービスを利用することによってもこの点は問題なくクリアできると思います。

次は、故人の立場で考えてみましょうか。
とはいっても、これも本当に自然なことです。
暗く冷たい土の中より陽が当たる場所のほうがいいことは想像するまでもありませんし、シーンと静まりかえった場所よりは愛する人たちの気配やぬくもりを感じられる場所のほうがいいだろうということも考えるまでもないでしょう。

つまり、どちらの立場で考えたとしても、遺骨はそばにあったほうがいいはずです。


 

お金がかからない

 

なにごとも、お金がかからないほうがいいのは当たり前のことです。
特に、大切な人を亡くして悲しみに暮れている状況であればなおのことです。
以前にも触れましたが、死別後のこういった状況にお金がかかる理由が私にはまったく理解できません。
むしろ、これだけ苦しんでいる状況を考えれば、お金をもらってもいいぐらいです。
それにもかかわらず、葬送関連はなにもかもに高額なお金がかかります。
それはまるで、死者から最後のお金を搾り取るかのように…

考えてもみてください。
最後の最後に、「お金がかかるからこんなお葬式しかできなくてごめんね…」とか、「こんなところにしかお墓を作れなくてごめんね…」とか、こんな思いをするのはイヤじゃないですか?
私から言わせると「世の中はどれだけ遺族を苦しめれば気が済むんだよ」という話です。
もちろん、お金があればこういった問題は起きないのは事実です。
ですが、みんながみんな裕福なわけではありませんし、そうなったらそうなったで更なる墓地争いなどが起きるだけでしょう。
第一、こういったお金の行き先は故人ではありません。あくまでも業者です。
こういったことを考えると、お金がかからない方法があればそれがベストなはずです。

それに、お金がかからなければ、お金がないことを理由に諦めるといったこともなくなるため、愛する故人を純粋に偲ぶことができることでしょう。
それはおそらく、遺族が本当に求めていることであり、その想いを受け止める故人が望んでいることでもあるはずです。



いつでもどこでも偲ぶことができる

 

遺族が故人を偲ぶのは自然なことです。
それは、仏壇に手を合わせたり、お墓参りをする人間が多いことを考えればわかることです。
そういったことを考えると、いつでもどこでも故人を偲ぶことができるという方法があるのであれば、それは歓迎されるべきことでしょう。

もちろん、人によっては形式を重んじる方もいらっしゃると思います。
しかし、お墓参りをするためにお墓参りをするという方はいません。
誰もが、故人を偲ぶために、そして、故人に会うためにお墓参りをするはずですし、それはそこに「遺骨」が納められているからです。
ですから、その目的が達成できるのであれば場所を選ぶ必要もないでしょうし、いつでもどこでもその目的が達成可能なのであれば、それにこしたこともないでしょう。

お墓は昔の人が考え出した一つの方法に過ぎません。
故人を偲ぶ対象としての「遺骨」、それを納めておく場所が当時はそこ以外になかったというだけの話です。
であるなら、遺骨を納めておく場所が他にあれば、もはやお墓という形態は必要ないはずです。



誰でも偲ぶことができる

 

故人を偲びたいと考える人間は決して少なくありません。
と考えた時、お墓の場所を知っている者しかお墓参りに行けない、家を知っている者しか仏壇に手を合わせられないというのでは、寂しいとしか言いようがありません。
最低限、故人を知る者であれば誰もが気軽に偲ぶことができる状況は作りたいものです。


 

遺族の想いを反映させることができる

 

故人との関係や、故人への想いというのは特別なものです。
多くの方は、葬送においてもこういった特別な想いを表現したいと考えることでしょう。
それは葬送スタイルや墓石などにバリエーションが増えてきていることからも読み取れます。
こういったことを考えると、遺族の想いを反映させることができるというのは必要な条件ということになるはずです。

墓地を借り、墓石を買い、墓石に情報を刻む…
従来の「お墓」というスタイルで、果たして故人への想いは十分に表現できているのでしょうか。

もし、お墓という限られた枠の中で考える必要がなければ、遺族の想いを表現するもっといい方法がきっとあるはずです。
そしてそれこそ、たった一度の人生で心の底から大切だと思えた人間を送るにふさわしい方法と言えるのかもしれません。




以上が、お墓に代わる新しい方法が満たすべき主な条件となります。

次は「では実際の方法は?」という話になるのですが、今回も長くなりましたので、続きはまた今度書きます。

なお、先に知りたいという方はコチラのサイトをご確認ください。

www.omoide-so.com

 

 

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