亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

心配事…

 

 

「故人にもっと光が当たり、故人を社会全体の想い出として大切にしていくような世界」

 


私はこういった世界が訪れることを願っていますし、ここ最近そういった内容の記事を書いてもいます。
しかし一方で、私が生きている間にこういった世界が実現することはないだろうということも漠然と感じています。

 

 

ただ、「大切な人を亡くしては悲しむ」ということがこれから先も当たり前のように繰り返されてしまうのも、それはそれで人類としてあまりにももったいないような気がします。
ですから、少しでも悲しみを和らげるための方法を見出したいものですし、可能なのであれば、そういったものを「後に続く方々」に伝えていきたいものです。

 

 

ちなみに、こういったことに否定的な人は、概して「悲しみは人間にとって必要なものだ」と言います。
確かにそれは一理あるでしょう。
私もそれを否定するつもりはありません。
現に、私自身もそういった経験を通じて自分が成長できたと感じていますし。

 

 

ただ、果たして「気が狂うほどの悲しみ」や「後を追いたくなるほどの悲しみ」まで必要なのでしょうか…?

 

 

私はまったく必要ないと思います。
それはそうでしょう。
残された人生を棒に振ってしまいかねないほどの悲しみなんて、誰のためにもなりませんから。

 

 

こんな考え方をしているせいか、「人間だから悲しみを感じるのは仕方ない」と達観したかのように言う人間も私は苦手です(笑)
そんなことを言ってみんなの思考を停止させようとする前に、頼むからまずは何か行動を起こしてくれ!と思ってしまいます…
とはいっても、思考停止状態の本人に何かを求めるのは、酷に過ぎることなのかもしれませんね。

 

 

改めて言うまでもありませんが、私たちは手遅れです。
変わらぬ価値観と変わらぬ文化の中で、特に有効な手段もなく、悲しみに暮れるしか道はありませんでした…
ただ、これから先の人間にはまだチャンスがあります。

 

 

死別の悲しみに打ちのめされる人間がこれからも延々と生み出され続けるのを何もせずに眺めるのか、それとも少しでも悲しみが和らぐような状況を作るのか…

 

 

であれば、私は後者を選びます。
もう、悲しみに打ちのめされる人間は見たくありませんから。
そしてそのための一歩として、「故人のホームページ」というものを提唱しているわけです。

 

 

とはいっても、こんなことを考えている方ってあんまりいないんですかね?
最近少し心配になり始めました…

 

 

 

 

にほんブログ村 恋愛ブログ 恋人との死別へ
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
いつもありがとうございます。クリックして頂けると、励みになります!