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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

薄れていく記憶(再掲載)

 

ここ数日間は、わけあって以前の記事を再掲載しております。  

 

 

 

 

ふと気付いたのですが、当時の細かな出来事や物事について、私の記憶はかなり薄れています。

とはいっても、すべての記憶が薄れているわけではありません。
交わした会話の内容や、一緒にしたことなど、大切な人に直接かかわっているようなことに関しては、今でもはっきりと覚えています。
ただ、周辺情報とでも言えばいいのでしょうか、そういったものに関しては自分でもビックリするぐらいに記憶が薄れています。

たとえば、病院の何階に入院していたのか、病室が何号室だったかといったことや、ある会話をした正確な日時、物事の起きた順番などです。

もちろん、完全に白紙になっているわけではありませんし、周辺情報すべてについて記憶が薄れているわけではありません。
しかし、ぼんやりとしている部分が多少なりとも存在していることは事実であり、もはやその部分に関しては自分自身で記憶を確定できない状態になっています。
そして、その部分に関する記憶を呼び覚ましてくれる人間がどこにもいない以上、これから先も私がそれを思い出すことはおそらくないのでしょう。
もっとも、病院の件に関しては現地に行くことで思い出せそうな気もするので、少なからず解決法があるのかもしれません。でも、その他については、やはりどうにもならないような気がします。

ちなみに、なぜビックリするかというと、私にとっては、記憶が薄れる日が来るとは思えないぐらい重要な情報だったからです。ですから、何かにメモをとるまでもなく絶対に忘れることはないだろうと考えていました。
ところが、ブログを書くにあたりいろいろと記憶を巡ってみると、あろうことかところどころ記憶が薄れていることに気付かされました。
そしてそれは、「忘れたという事実」をどうしても認めたくない自分でも、もはや認めざるを得ない状態でした。

「人間は忘れる生き物」というのは有名な話ですが、残念ながらこれは私にも当てはまるようです。
死別に関するあれほど強烈な記憶であっても、悲しいことに当てはまってしまうようです。

いくら周辺情報とはいえ、大切な人に関する記憶が薄れることはさびしく悲しいものです。
ただ、どういうわけか「仕方ない」と思える私が存在していることも事実です。
もし死別後のもう少し浅い時期であれば、おそらくこんな自分を責めたことでしょう。
でも、不思議なことに今は、そんな自分まで許せるようになったようです。

こういった情報を覚えていること、そして忘れてしまうこと。
どちらがいいのか私にはよくわかりません。
おそらく、残された人間にもよるのでしょうし、同じ人間であっても時期や状況などによって答えは変わるでしょう。

ただ、もし大切な人に関する情報を何一つ忘れたくないというのであれば、やはり記憶が新しいうちに何かしらの形式で記録しておくことをオススメします。

私の経験から言えるのは、どれだけそのつもりがなくても記憶はいつか薄れるということです。
それを聞いてどう対処するか、あとはみなさんが判断してください。

 

 

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