「故人を大切にしたい」
この感情はおそらく誰もが持っていることでしょう。しかし、その表現の方法となると、それはもう人によってそれぞれです。
お葬式を例にとっても、豪勢なお葬式とすることで故人を大切にしようとする方もいらっしゃるでしょうし、故人に合ったオリジナルな形式を選ぶことで故人を大切にしようとする方もいらっしゃるでしょう。
逆に、お葬式以外の部分で故人を大切にしようと考える方であれば、お葬式自体はオーソドックスなものや簡素なものにするのかもしれません。
当然のことながら、どれが正しいという問題ではありません。
ただ単に、「故人を大切にしたい」という感情の表現方法が人により異なるだけです。
では、私が考える「故人を大切にする方法」というのは何か…
それは「故人を忘れない」ということです。
もう少し丁寧に書くなら、「故人を多くの人に知ってもらい、そこに素晴らしい人間がいたことを自分だけでなくみんなにも覚えてもらう」ということです。
なぜ多くの人に知ってもらいたいか…
それは、「故人のことを誰も知らないということ」が「故人がそこに存在していなかったこと」に等しく思えてしまう時があるからです。
ですから、故人がそこにいたこと、そして一生懸命生きたこと、そういった「生きた証」をどんなことがあっても残したいと思うのです。
それはきっと故人のためでもあり、故人を想う自分のためでもあります。
みなさんも経験したことがあるかもしれませんが、死別してしばらく経つとふと気付きます。
あっという間に故人の存在が忘れられていくということに…
たとえ自分にとっては誰よりも大きな存在であったとしても、現実に目を向けてみるとほとんどの人が故人を知りません。
そして、故人のことを知っているわずかな人間たちでさえ、猛烈なスピードで故人の存在を忘れていきます。
あろうことか、最終的には誰の話題にものぼらなくなります…
これは、本当の意味で「故人の死」を意味するような気がしますし、下手をすると、それよりもずっとひどいことであるような気がして、私にはなかなか受け入れがたいものです。
だからこそ、多くの人に故人を知ってもらい、多くの人によっていつまでも覚えておいてもらいたいと考えています。
たとえ生前に故人を知らなかった人でもいいんです。
「そこに素晴らしい人間がいた」ということを知ってもらえるのであれば、誰であっても大歓迎です。
もちろん、自分だけが知っていれば十分という方も中にはいらっしゃることでしょう。
そういった方はそれでいいと思います。
でも、故人の気持ちを考えると、もう少しみんなに覚えていてもらいたいんだろうな…
私にはそんな気がします。
ですから、私にとって故人を大切にするということは、「故人を忘れない」ということです。
最後になりますが、「みなさんの大切な人」と「大切な人へのみなさんの愛」は、きっと世間に誇るべきものであるはずです。
ですから、みなさんの大切な人も、もっともっと世の中に知られてもいいのかもしれませんね。
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