今日は少し寒いですね。
雨も降っていますし、週の始まりということもあって憂鬱に感じている方も多いのではないでしょうか?
かくいう私もそのうちの一人です。
ただし、雨に関しては嫌いではありません。
むしろ好きです。
ただ、これが本心かどうかというとなかなか難しいところです。
にもかかわらず、なぜ私は雨を好きと言うのでしょうか?
答えは特に難しくありません。
私の大切な人が雨を好きだったからです。
そしてその事実があるため、死別以降「雨が嫌い」とは言えなくなりました。
もちろん、本心との間に多少の違和感を感じていたとしてもです。
普通に考えるなら、別々の人間である以上意見や好みに合わない部分があったりするのは自然なことです。
それにこういったものはすぐに変わるものでもありませんので、ある意味仕方のないことでもあります。
ただ、いったん死別を経験してしまうと、大切な人が好きだったものを「意見や好みの相違」を理由に否定する気にはなかなかなりません。
大切な人が好きだったものを好きでいたい、大切な人が大事に感じていたものを大事に感じたい…
こんな気持ちが強く働くわけです。
もっとも、もしそういったものを否定したとしても、本人から文句を言われることはないはずです。
そんなことを気にするような人ではありませんでしたから。
しかし、それでもなお、おいそれと否定する気にはなりません。
とはいっても、私の本心はすべて見透かされているはずです。
当然、「私が雨を好きではないっぽいこと」もたぶんバレていることでしょう。
それを考えると、「本心との違和感に気付きながらも雨を好きと言おうとする行為」にはまったく意味がないのかもしれませんし、それどころかバカげた話なのかもしれません。
でも、時には「自分のため」を思ってあげてもいいでしょう。
ですから私は、「雨を好きになりたい自分」「雨が好きでいたい自分」「雨が好きと言いたい自分」、こういった自分を理解してあげたいと思います。
大切な人が大事にしていたものや好きだったもの。
こういったものはただそれだけで宝物です。
そして、ただそれだけで残された人間の気持ちを穏やかにしてくれます。
だから私は、これから先もずっと「雨が好き」なはずです。