亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

降りるか、それとも乗り続けるか

 

「大切な人がいた世界」から「大切な人のいない世界」へ

大切な人が亡くなると、世界は一変します。

その日まで当たり前のように行ってきたすべてのことも、この日を境にすべてが違ったものになります。こういったことは、死別を経験したみなさんであればよくわかっていることでしょう。

とはいっても、これはあくまでも残された人間にとっての話であって、それ以外の人間にとっては世界は何も変わりません。
当たり前のように朝が来て、当たり前のように世の中は回り続けます。

一見不条理に思えてもこれが現実です。
別に世の中はあなたをイジメたいわけでもありませんし、苦しめたいわけでもありません。
ましてや、あなたひとりを置き去りにしたいわけでもありません。
ただ、淡々と回っていくだけです。

そして、この流れに乗り続けるかどうかはまったくの自由です。

ちなみに、私はこの流れから降りることを選びました。
死別をきっかけに自分の人生をいったんストップし、すべてを放棄したわけです。
それはつまり、終わってもいない人生を自分で勝手に終わったと判断し、自らすべてを止めてしまったということです。

私は、今になってそのことをひどく後悔しています。

なにせ回り続ける世の中ですから、いったんそこから降りてしまうと、もうその時間を取り戻すことは不可能です。
ですから、たとえ死別のような「人生のすべてを変えてしまいかねない出来事」があったとしても、ぐっと踏みとどまるべきだったのでしょう。
一時の不安定な気持ちに、自分の人生のすべてを預けてしまうのはあまりにも危険です。
それは、大切な人こそ人生のすべてだと考えていて、その人が亡くなった以上どうなってもいいと考えている人間にとっても同じことです。

死別後の悲しみや苦しみは永遠に終わらないもののように感じますが、長い人生の中で見れば、ある意味ほんの一時の心情です。
したがって、こういった心情に流されてしまわないように気を付けたほうがいいと思います。特に、残された時間が長い人間、つまり若い時に死別を経験したような人間であればなおさらです。

今は信じられないかもしれませんが、「やりたいこと」や「やるべきこと」がきっといつか出てきます。
おそらく、その時には時間がいくらあっても足りないでしょう。
そんな「いざ前を向こうとした時」に、それまでに無駄にしてきた時間を後悔しなければならないのは非常にさみしいことです。

そうならないことを願います。

 

 

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