亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

頂いたコメントへの回答

 

 

はじめてのコメントです様

『前向きになる』『立ち直る』の基準というものが今なんなのかわからず。。。やりたい事が見つかる事がひとつでしょうか? 大事な彼と死別し、この二つの言葉を周りに言われる事もあり、その基準とか何をもって立ち直ると言うのかが、わからず主様の考えを効かせて欲しいです。人それぞれとかではなく。。。(コメントから質問部分のみを抜粋)

 

正直に申しますと、「立ち直る」「前向きになる」といったことに絶対の基準はないと思います。ただ、私個人がその目安のひとつとして考えているのが「自分の人生を大切にしようとしているか」ということです。
この点に関しては以前に記事を書いておりますので、そちらをご確認くださればと考えております。

sms2001.hatenablog.com

 
ちなみに、コメントにお書きになった「やりたいことが見つかる」ということも、私にとってみれば立ち直りの目安になると考えています。
なぜなら、やりたいことを成し遂げようとするからには、成し遂げるまでしっかり生きようとするはずですし、それはすなわち人生を大切にする姿勢と言ってもいいような気がするからです。

ただ、基準とは言っても、すべてのことに対してある基準で話がつくわけではありません。おそらく例外となるような状況も多々あることでしょう。ですから、最終的にはケースバイケースで判断せざるを得ないと思います。

とは言っても、人それぞれという回答は望んでいらっしゃらないとのことですので、部冒頭の「人生を大切にしようとしているか」に加えて、私なりの基準をもうひとつ挙げておきます。

それは「故人の気持ちを優先して考えているか」ということです。

なぜなら、死別直後には自分をどうにか維持することだけで手一杯だった人間が、自分よりも故人を優先して考えられるようになることは紛れもなく心境が変化したということであり、それは「立ち直り」か、少なくとも「立ち直りへ向けた一歩」を示していると考えているからです。

以上、具体的に2点を挙げてみましたが、この他にも基準となるものはたくさん考えられます。そこで、ここからは具体的な例を示すよりも、私が何をもって立ち直りを判断しているか、その根本となる部分についてざっくりとお伝えしておきます。

それが「気持ちが変化したかどうか」ということです。

つまり、「死別直後に自身が感じていた気持ちが変化すること」、それが「立ち直り」であり、「気持ちが変化したかどうか」、それが立ち直りを判断するにあたっての基準になると私は考えているということです。
ですから、たとえば新たに気になる人ができるということも立ち直りと言えるのかもしれません。なにせ死別直後はそんなことを考えもしなかった気持ちが変化したわけですから。また、本当に小さな部分で言うなら、死別直後に見せなかった笑顔が出るようになるということも心境の変化と言えますから、わずかとはいえ「立ち直りへの一歩」という見方ができると思います。

もっとも、個人個人が死別直後に抱く気持ちは人それぞれです。そして、それが変化することをもって「立ち直り」と考える以上、その基準はやはり人それぞれとしか言えないのかもしれません。

なお、誤解のないようにお断りしておきますが、気持ちの変化とは言っても「人生を捨てる方向への変化」や「人生を粗末にする方向への変化」などは含みません。あくまでも、人生を大切にする方向への気持ちの変化が「立ち直り」と言えるのだと思います。

ついでに触れておきますが、「悲しみ」は立ち直りの判断基準にはならないと考えています。
確かに、悲しみは時間の経過とともに少しずつ薄れていくものですから、それをもって気持ちが変化したと言えないこともありません。ただ、この場合は単に悲しみが薄れているだけであって、私の言う「気持ちが変化した」という状況ではないと考えています。つまり、悲しみが薄まったからといって、それがすなわち立ち直りを示しているかというと、そうではないということです。

今回はここまでとなります。
望まれた回答ではないかもしれませんが、気になっていたことが少しでも解消されることを願っております。

 

 

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